シカの森林被害は土壌微生物にも波及する
—大規模生態系操作実験と環境DNA分析の融合—
(京都大学記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会、福島県政記者クラブ、兵庫県教育委員会記者クラブ、筑波研究学園都市記者会、環境記者会、環境問題研究会同時配付)
1.背景
シカによる森林被害は、生物多様性と生態系の機能に長期的かつ広範な影響を及ぼし、国内外で深刻化している問題です。シカによる植生の食害(過採食)は、植物種の多様性とバイオマスを減少させる直接的影響だけでなく、昆虫相などに間接的に影響するなど、生態系の波及効果を引き起こすと考えられます。このような間接的影響のひとつに、シカの食害が土壌微生物群集に対して与える影響が挙げられます。最近の研究では、土壌微生物が植生の多様性を維持し、遷移を促進することが示されています。したがって、土壌微生物群集がシカによってどのような影響を受けるのか、あるいはシカの影響からどのように保護されるのかを理解することは極めて重要です。それにもかかわらず、シカによる食害が土壌微生物の多様性や種組成にどのような影響を与えるかはこれまで明らかになっていませんでした。
2.研究手法・成果
本研究の柱となっているのは、芦生生物相保全プロジェクト(略してABC Project:https://www.forestbiology.kais.kyoto-u.ac.jp/abc/(外部サイトに接続します))です。芦生研究林では、2000年前後より、過剰な密度で生息するニホンジカによって、森林下層植生が衰退しました。こうした森の危機に対し、植生を保全しつつ、生物相や生態系プロセスへの影響を明らかにすべく、ABCプロジェクトが設立されました。2006年に、16haの区域を防鹿柵で囲ってシカを排除する実験が開始されて以来、ABCプロジェクトはさまざまな研究に取り組み、これまで植物相、水質、水生昆虫相への影響を明らかにしてきました。この大規模生態系操作実験は、京都大学の高柳敦准教授らのグループを中心に、福島大学の福島慶太郎准教授・兵庫県立大学の藤木大介准教授・日本大学の井上みずき准教授・国立環境研究所の境優主任研究員らが主体となって進めてきました。2020年からは、門脇浩明 白眉センター特定准教授らのグループが、この大規模防鹿柵サイトを活用し、シカによる食害の有無が土壌微生物にどのような影響を与えるのかを解明することを目指し、土壌微生物に関する本研究を実施しました。シカが排除され豊かな植生が回復・維持されている区域(シカ排除区)と、それに隣接し、シカの食害が続いている区域(対照区)において、土壌を採取し、環境DNAメタバーコーディング解析(用語説明参照)によって土壌微生物群集(細菌やアーキア(古細菌)などの原核生物、ならびに担子菌類や子嚢菌類(しのうきんるい)などの真菌類)の構造と組成を比較しました。その結果、アーキアと担子菌類の種数はシカ排除区の方が対照区よりも多く、細菌と子嚢菌類についてはそのようなパターンは見られないことがわかりました。また、多様性の違いに加えて、土壌真菌群集を動物病原菌や菌根菌、腐生菌といった生態系での機能の観点で分類したグループに分けて調べると、シカ排除区よりも対照区において動物病原菌グループの存在量が多くなることが発見されました。このように、防鹿柵が土壌微生物群集に及ぼす影響は、微生物のグループごとに異なる複雑な反応によって特徴づけられますが、本研究は、シカの食害を防ぐことで、土壌微生物群の多様性を守ることができる可能性を示唆しています。
3.波及効果、今後の予定
長期的にシカを排除する大規模生態系操作実験のサイトを活用し、シカによる食害の有無が土壌微生物にどのような影響を与えるのかという問題に迫ることができました。今後は、こうした土壌微生物群集の変化が植生の回復や維持にどのような影響を与えるのかを解明することで、シカの食害が生態系に与える影響の全貌に迫り、より効果的な生態系回復策の立案などに資する研究を展開していきたいと思います。
4.研究プロジェクトについて
白眉プロジェクト(門脇浩明,京都大学)
基盤研究B(代表:門脇浩明)シカ食害が招く森林衰退:植物土壌フィードバックに着目して(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-21H02233/(外部サイトに接続します))
研究者のコメント
数十ヘクタールの面積をカバーするような、生態系スケールの実験は、決して一人の力ではできません。生態系のさまざまな変化を捉えるには、長期的に広大な面積で実験を続けることも重要です。今回の研究は、ABCプロジェクトの研究メンバーや芦生研究林の教職員の方々の継続的なサポートなくして実現できませんでした。こうして得られた知見を積み重ね、シカによる森林被害の深刻化を食い止め、適切な森林管理をどのように実現していくべきかについて探求していきたいと思います。(門脇浩明)
用語説明
環境DNAメタバーコーディング:環境中に含まれるDNA全体(環境DNA)を分析して、サンプル中に含まれる生物相を解明する手法。サンプル中に含まれる興味のある生物群について、サンプル中のDNA配列を網羅的なプライマーセットでPCR増幅した後、次世代シーケンスのDNA配列を端から読みとる。得られた塩基配列をデータベースと照らし合わせ、DNAをバーコードのように使って生物群集の多様性や組成を解析することができる。
論文タイトルと著者
タイトル:eDNA metabarcoding analysis reveals the consequence of creating ecosystem-scale refugia from deer grazing for the soil microbial communities(シカによる植生の食害から生態系のリフュージアを作ることが土壌微生物群集に与える影響を環境DNAメタバーコーディング解析によって解明する)
著者:門脇浩明1,2*, 本庄三恵3, 中村直人2, 北川陽一郎4, 石原正恵4, 松岡俊将4, 立木佑弥5, 福島慶太郎6, 阪口翔太7, 井上みずき8, 藤木大介9, 境優10, 高柳敦2, 山崎理正2, 徳地直子4, 高橋大樹11, 長澤耕樹7, 増田和俊7
所属:1 京都大学白眉センター
2 京都大学大学院農学研究科
3 京都大学生態学研究センター
4 京都大学フィールド科学教育研究センター
5 東京都立大学理学部
6 福島大学食農学類
7 京都大学大学院 人間・環境学研究科
8 日本大学文理学部
9 兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
10 国立研究開発法人国立環境研究所 福島地域協働研究拠点
11 東北大学大学院農学研究科・川渡フィールドセンター
掲 載 誌:Environmental DNA
DOI:https://doi.org/10.1002/edn3.498(外部サイトに接続します)
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