多様であること、調和していること(2014年度 33巻4号)|国環研ニュース 33巻|国立環境研究所
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2014年10月31日

多様であること、調和していること

特集 生物多様性を見守る -視野の広がりと歴史の厚み-

青野光子

 夏の初め、研究所内の野外実験施設、生態系研究フィールドにある小さな試験水田をのぞいてみました。メダカやオタマジャクシが水中を元気に泳ぎまわり、すくすくと育つイネの根元にはカヤツリグサなど様々な植物が生えています。イネの葉に目を移せば、訪れる大小のトンボ、真っ赤なショウジョウトンボやイトトンボなど、すぐに数種類確認できます。たった数平方メートルの水田に、実に多くの生き物が集まっていることに驚かされます。昔は水田といえばこのようなたくさんの生物が暮らす場所だったのでしょう。子どもにとっては生き物を獲るなどして楽しく遊ぶ場、すなわち大きな生態系サービスを受ける場であったに違いありません。

 研究所の周りには現在も多くの水田があります。整然と並び、育つイネはいかにも日本的な美しい風景です。同時に、水田が効率的にコメを生産するための場であることは言うまでもありません。機械化や農薬によって生産者が過酷な労働から解放されている一方、畔は除草され、用水路や田んぼの中には特に興味深い生物はいないようです。田んぼの周囲には平地林が残っています。遠目にはのどかな雑木林に見えますが、近づいてみるとゴミが不法投棄され、クズが繁茂し、マツが立ち枯れ、下草が茂りすぎて立ち入ることもできません。昔は薪炭材を採るなど生活に密着しており、手入れが行きとどいていた里山の雑木林ですが、生活様式の変化で使われなくなってしまいました。昔、田んぼだった場所もあります。田んぼには雑草が生い茂り、灌木も生えてきて、畔も壊れています。食生活の変化でコメの生産が過剰になり、生産者も減り、水田も減ってきているわけです。田んぼや雑木林のような二次的な自然にかつてあったような、人間活動と調和した生物多様性が失われようとする時、どのようにするのが良いのでしょうか?

 「この際、土地の有効活用を第一に考えますから」、というやり方もあるでしょう。近年、休耕地のような場所には、どんどん太陽光発電パネルが設置されてきているようです。駅の近くでは、放置された雑木林もあっというまに宅地化、商業地化されています。一方、「頑張って昔と同じように生き物の多くいる田んぼを作って、里山も手入れするよ」と、二次的な自然の回復や維持に努める、ということもあり得ます。人手は多くかかりそうですが、研究所の試験水田の様に、かなりの生き物が集まってくるでしょう。さらに、「我慢してしばらく放置し、人間の手が入らない自然に戻していきたいなあ」、という可能性だってあるかもしれません。縄文時代の祖先と同じ自然を見ようとすれば、かなりの年月を待つ必要があるでしょうし、外来生物についても考える必要があります。しかし、どんな選択をしても、既に絶滅してしまった生物は決して戻ってくることはありませんが、、、。ともあれ、それぞれのやり方の利点と問題点を的確に把握して、自然のあり方と人の労力や採算、社会的な需要とを調和させた方法を選ぶことが、地域の、そして日本や世界の生物多様性をバランスよく保つことにつながると言えるようです。

 本特集では、人間活動との調和を保ちながら生物多様性を保全するためには、どのようなやり方があり、どう選べばいいのか、ということを解説しています。土地利用図から見た日本全国の生物多様性に関する研究を「重点研究プログラムの紹介」で、人間活動の歴史と生物多様性のパターンに関する研究を「研究ノート」で紹介するとともに、自然保護区については「環境問題基礎知識」で解説します。あわせて、ボルネオ島先住民との暮らしから生物多様性の価値に迫る「調査研究日誌」もご覧ください。人類が住めるのは地球だけですから、人間はここで自然と共に生きていく以外にありません。これらの記事が、人間と自然の共存について皆さん一人ひとりが改めて考える一助になれば大変な幸いです。

(あおの みつこ、生物・生態系環境研究センター 環境ストレス機構解明研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

青野光子

 長年、四季を通じて日に当たらずにインドアで実験していたはずが、いつのまにか野外でも活動するように。道路沿いや橋の下の河川敷などの草むらを私服にサングラスで徘徊したる姿、我ながら怪しきこと限りなし。

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