突然変異体を用いた植物のストレス耐性機構の解明
研究ノート
青野 光子
生物は,生きていくのに最も適した条件でいつも過ごせるわけではない。むしろ,周囲の環境から常にストレスを受けているのが常態であろう。ストレスの原因としては,強すぎる光や紫外線,乾燥,低温といった自然の要因,あるいは大気汚染等の人為的な要因が挙げられる。ストレスの程度が生物の適応の範囲を超えていると障害が発生し,最終的には個体が死んでしまう。動物と違って,移動してストレス要因から逃れることのできない植物は,その場でストレスをなんとか克服しなければ枯れてしまうのである。そこで,植物は生き延びるために,独自のストレス耐性機構を発達させてきた。
大気中のオゾンや二酸化硫黄等は,人間の健康に悪いばかりでなく植物にとっても大きなストレス要因である。それらによって,植物には生長の抑制や光合成の阻害,葉の脱色や組織の細胞の死(壊死)などの障害が起きる。夏,暑く光の強い時期に,都市近郊でアサガオやサトイモの葉に白や茶色の斑点が見られることがあるが,これは光化学オキシダントの主成分であるオゾンによって葉の組織の一部が壊死したものである。このような障害を引き起こす原因物質の一つに活性酸素がある。活性酸素とは,非常に反応性の高い酸素を含む物質の総称で,スーパーオキシドラジカル(O2-・)や過酸化水素(H2O2)等があり,酵素等のタンパク質や,生体膜を構成する脂質といった生体物質と反応して細胞に損傷を与える。
活性酸素は,光と酸素のある状態でストレスを受けたときに生体内で発生する。植物では,大気汚染にさらされたときばかりでなく,ある種の除草剤や,強光や低温,乾燥のようなストレスでも発生するし,実は通常の光合成の際にも少量発生している。植物は長い進化の歴史のなかで,酸素の存在下で光をエネルギーとして利用し,また周囲の環境の変化に適応するためのストレス耐性機構の一つとして,活性酸素を消去する系を獲得してきたのである。ストレスによって引き起こされる障害を避けるために,障害の原因となる物質を消去してしまう仕組みを備えるようになったというわけである。
活性酸素消去系(図1)は,葉緑体,ミトコンドリアや細胞質に存在し,毒物である活性酸素を,酵素や酸化還元物質の働きで無毒な水(H2O)に変えていく系である。スーパーオキシドラジカルは,まずスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)という酵素によって,分子状の安定な酸素と,過酸化水素に変化する。過酸化水素も活性酸素であるが,これはアスコルビン酸ペルオキシダーゼ(APX)によって水に変えられる。この反応で基質となるアスコルビン酸は,ビタミンCとして非常によく知られている物質で,細胞を酸化的ストレスから守るのに重要な役割を持っている。この反応で酸化されたアスコルビン酸を再び還元するために,グルタチオンと呼ばれるアミノ酸が3個つながってできた物質や,酸化型グルタチオンを還元するグルタチオンレダクターゼ(GR)等の酵素が働く。
この活性酸素消去系の酵素の活性を,遺伝子操作で変えることによって,活性酸素を消去する能力の異なる,すなわちストレスに対する耐性の変化した植物を作成することができる,と考えられる。我々のグループではこれまでに,グルタチオンレダクターゼやアスコルビン酸ペルオキシダーゼをはじめとした,活性酸素消去系酵素の活性を高めた遺伝子組換え植物を作成し,これらの組換え体がオゾンや二酸化硫黄等の大気汚染ガスに対し,ある程度の耐性を持つことを示してきた。この結果を応用すれば,例えば大気汚染ガスに対し高い耐性を持った樹木を使って大気浄化を行うこともできるようになると考えられる。植物の能力を利用して環境を修復する,「ファイトレメディエーション」の一例である。また,逆にこれらの酵素の活性を低くして,ストレスに対し感受性の高くなった植物を使えば,環境中のストレス要因を敏感に検出する,つまり環境を監視する「ファイトモニタリング」を行うこともできる。高価な測定装置を用いなくても,植物の葉を見ればその状態によって環境の状態を把握することが可能となる。このように植物のストレス耐性機構を解明し,その知見を応用することで,植物の能力をいっそう活用した環境保全ができるようになると期待される。
ところで,既に機能がある程度推察されている遺伝子を導入して組換え体を作り出す方法は,常に思い通りの性質を持った組換え体が得られるとは限らない。生体の反応は非常に複雑で,例えば活性酸素にしても,生体物質を損傷するばかりではなく,実はストレスに対する生体内のいろいろな反応の情報を伝達する物質としての役割もあることが近年わかってきている。活性酸素をただ消去するだけがストレス耐性機構ではないのである。
一方,ある性質を持った植物から,その性質をもたらしている遺伝子を単離・決定し,ストレス耐性機構を解明することで,その遺伝子を利用した植物による環境保全を行なう,という方法も考えられる。そのために非常に有効なのが突然変異体を用いた研究である。突然変異体とは,何らかの原因で遺伝子に変異が起き,その変異によって通常とは異なる性質を示す個体であり,従来から遺伝学の研究に用いられてきた。突然変異体を用いれば,特に,発現量は非常に少ないが重要な機能を持つ遺伝子(例えば情報伝達系にかかわる遺伝子)の単離をすることができると期待される。現在我々は,オゾンに対する感受性が高い植物(シロイヌナズナ)の突然変異体を用いて研究を行っている。シロイヌナズナは小さな野草だが,全DNA配列が既に決定されており,微生物でいえば大腸菌,動物でいえばショウジョウバエやマウスに匹敵する,極めて有用な実験植物である。遺伝子の変異はごく稀に自然に起きることもあるが,通常は突然変異原処理を行って人為的に起こす。我々が用いているのは,高速中性子線(FN)照射とメタンスルホン酸エチル(EMS)処理を行ったもの,及びゲノム中にランダムにDNA断片を挿入することで遺伝子を変異させたものである。
これらの突然変異原処理を行ったシロイヌナズナ約20万個体をオゾンに暴露し,処理を行っていない野生型のシロイヌナズナよりもオゾンに対する感受性が低い,すなわちオゾン暴露後の葉の可視障害の程度が多い個体を選抜した。これらのうち明確なオゾン感受性を示す9個体を選び,増殖させて現在解析中である。これらの突然変異体はもちろんオゾン感受性だが,他のストレス要因に対してはどうだろうか。もし,オゾン耐性の機構が単純であれば,突然変異体がオゾン感受性となっている原因(すなわち変異の起きた遺伝子)も単純で,他のストレス要因に対する感受性も9種類でみな同様になると思われる。我々は低温,強光,パラコート(除草剤),二酸化硫黄ガスでそれぞれ処理したときのオゾン感受性突然変異体の可視障害を野生型と比べてみた。すると,これらの突然変異体では,オゾン以外の4つのストレス要因に対する感受性は様々で,異なった組み合わせのパターンを示すことがわかった(図2)。このことから,オゾン感受性の原因は単純ではなく,複数あることが推察される。現在,突然変異体からの遺伝子の単離に向けて研究が進んでおり,どのような働きをもつ遺伝子が取れてくるのか,期待されるところである。
執筆者プロフィール
つくばに来てかれこれ20年,その間,自然観察,自転車,スキー,エアロビクス,水泳などの趣味の変遷を経て,最近はフランス語の習得に余念がない。