TIL:源氏二十一流
今年の大河で出てきた源仲章が源姓なのに明らかに公家&いわゆる源平合戦の源氏とは別な描写だった。
武家ではない公家な源氏というのは百人一首に選ばれた歌人として源融、源兼昌がいるし、さらにフィクションでは源氏物語の光源氏もいるわけだが、どういう理屈なのかよくわかっていなかった。
そもそも源氏というのは親王が臣籍降下した時に与えられる賜姓で、嵯峨天皇の親王たちが降下した814年が最初、正親町天皇の孫忠幸王が1663年に降下したのが最後。実に800年以上の間、天皇家から枝分かれする形で多数の源氏が生まれている。その数を21とし源氏二十一流とも称される。
ただしこの21に含まれない臣籍降下の例もあるらしいのと、さらに例えば清和源氏から河内源氏が枝分かれするなど、何々源氏という分類がすべてこの21に入るわけではない。
源融は嵯峨源氏、源兼昌や源仲章は宇多源氏。源頼朝以降の武家の棟梁は清和源氏の流れを汲む河内源氏。光源氏はまさに自身が臣籍降下して賜姓されたという設定。
「源氏長者」というタイトルはこれらすべての源氏の頂点という意味で、長らく村上源氏から輩出されていたのを室町時代から清和源氏の足利も(たまに)なることもあり、徳川幕府成立後は徳川の将軍が必ず源氏長者になったとのこと。
ちなみに源平藤橘では平氏も臣籍降下の折に賜姓されるもので、桓武、仁明、文徳、光孝の四流ある。藤原氏は中臣鎌足の子孫。橘氏も賜姓ではあるがすべて葛城王の子孫。