2017.07.31(Mon)
昨日は「寂しい生活」という本も読んだ。
前回書いた「ロジカル家事」とは対極かもしれない。
著者の稲垣さんはテレビや雑誌でも話題になっていたのでご存知の方も多いと思う。
震災による原発事故をきっかけに、節電を考えるようになり、そこから派生して結局電気製品をほとんど手放してしまったという方。
あたしもですねえ、稲垣さんほどの生活はできないまでも、本当に世の中これ以上便利が必要なのか?と思うときがあります。
世の中便利になればなるほど人間は忙しくなって、そもそも必要と思わなかったものを使いこなすために苦労して、それを使うためにまた何かを生み出して、、、。
確かに経済はそうやってまわっていくんでしょうけど、時々ふと疲れる。
手に入れても手に入れても満足せず、大きな箱を持てば持つほど、そこに何かを詰め込まないと不安になる。人は外的な成長を強いられ、自分が本当に欲しいもの、したいことは見えにくくなる。
若い頃はそうやって、今よりグレードアップしたものを手に入れたら幸せなんだろうと思った。
それが生きて行くモチベーションにもなった。
実際今、想像していた生活はかなっていて、それはそれで幸せだと思う。
その反面、生活を大きくし過ぎたなとも思う。
部屋の広さ、家電の大きさ、持ち物の数、、、。
こんなにいるのかな?本当に。
ここ数年、もっと生活を小さくしてもいいかなと思い始めた。
そのほうが自由だなと。
手に入れば嬉しいものもたくさんあるけど、手に入れるほど、それを維持しようとして不自由になるってこともある。
稲垣さんによると家電が便利になったはずの今も、家事労働時間って昔と変わらないんだそうだ。
たぶん増え過ぎたものや情報を処理するという、別の忙しさを生み出してしまったんだろうな。
そうやって考えていくと、「ロジカル家事」の勝間さんとあながち対極っていうわけでもない。
彼女はどんどん新しいものを試してみて必要な物を選択しようとしていて、稲垣さんは究極に減らした中に別の楽しみを見つけている感じ。
どちらも断捨離には触れていたし、「持ち過ぎた」という意識は、今の日本人のある層(世代かもしれないけど)には、確実にもやっと巣食っている感覚のような気がするな。
人生折り返して少し。
ひとまずまたいらないものを整理してみようと思うあたしなのでした。
https://sake.blogmura.com/kinshu/ranking.html ←にほんブログ村 禁酒・断酒