きまぐれ MUSIC-BANK ☆彡

2025年04月20日

冷やし中華はじめました! 2025

今記事を書いている金曜日の午後は 夏日予報でしたが一歩手前で なんとも過ごしやすい陽気。記事書かないで外出したくなりますが そういう時に限ってやらなきゃならならないことが 綺麗に予定立てしちゃいひとつづクリアしながら。😞
三人分昼を作らなくてはならなかったので 冷やし中華はじめました。😃
  
あちゃ!紅ショウガ乗せるの忘れちゃったYO!まぁいいか。
夜は こちらも今年初めて ゴーヤーチャンプル―を作る予定だったんですが 豆腐買いに行くの面倒なので却下。別のメニューにします。ゴーヤで思い出したけれど グリーンカーテン用の苗を買ってこなくちゃな。どうもここ数年8月の終わり頃には枯葉が多くなってしまうので 今年は ちょっとだけ時期を遅らせようかなと考えています。
  
公園画像ひっぱってますが 桜が置き土産をしてくれてました。これは大島桜だったかな。
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🎵さ~てと 今回の一曲へ。今回も引き続き40年前(1985年)の春から初夏頃のヒット曲。この年も新人が大活躍の年で 次々とデビューし始めたのが今頃。数年しばらくは 王道のアイドル路線が多かった年が続いたんですが そんなアイドルの中でも ちょっと毛色が違うデビュー曲で登場した推しの子は まず新人としては歌唱力でピカッと光るものがあって 更にアイドルの面もあるんだけれど いろんな面があって茶目っ気ある時 表情を変えるとドキッとする淡い色気があったり はたまたすんごく幼い感じもあったり七変化の可能性を秘めていたのでした。おいらは その説得力を感じる歌唱力と 幼いんだけれど惹きつけるような香り始めた色気に今年はこの子かも!と心花(ときめき)を感じました。ほんと同い年だと思えないくらい幼いような感じもあったんだけれど 女の子って変わり身早いんですよね。その後の活躍は その時点で感じる以上に期待を良い方へ裏切ってくれたんですよね。でもね・・・。美人薄命・・・そんな言葉を知ったのも 彼女が初めてだったかな。デビュー後数年は 色物ぽいっとか 路線変更で良いこと言われなかったこともあったけれど おいらは ずっと応援してたな。他のおいらが好きなアーティストの間で やっかみもあった噂もあるけれど それだけ脅かす存在をプロとなりかけた先輩アーティストは追い上げを恐れていたってのも 彼女に見ていたんだろうなって。おいらはミュージカルって好きな方じゃないから 彼女が一から初めて オーディションで他の方と競い主役を勝ち取り大活躍したのは 正直これがプロ根性だと。デビュー前に 有名なテレビのオーディション番組(落ちちゃうんだけれども)で舌を出しておどけてしまう表情からは見いだせなかったな。今でも彼女の存在はシンデレラ・ストーリーだと頷くばかり。
 「殺意のバカンス」 本田美奈子 1985年04月20日発売 デビュー曲。(この頃は芸名に .は付いていませんでしたっけね。)大人っぽいんだか?子供っぽいんだか?いろんな表情は 彼女の可能性の一面だったんでしょうね。このデビュー作品は もう完全に背伸びしすぎって感じの内容なんだけれど 可愛いだけのアイドルが乱立する中 毛色をずらすことで 可能性を引き出すことは正解だったのかもね。同じように背伸びし過ぎな感じで大変身した新人は他にも 柏原よしえ(後の芳恵)も そうでしたっけ。
今残された動画を見ても やっぱり背伸びしてるよねって感じるんだけれど セクシー系が少なくなり出していた中で 彼女は日に日に気になる存在になって行きました。この年は前年に引き続き 大粒新人が次々にデビュー。新人賞も争奪戦になってましたっけね。同期には 昨年他界された 中山美穂をはじめ 「恋におちてーFALL IN LOVEー」小林明子 松本典子 芳本美代子らも。彼女は 演歌を歌ってデビューしたかったとの後日談もありました。デビュー曲は 当初セカンドシングルとなる まさにアイドルという曲調の「好きと言いなさい」が予定されていたんですが 美奈子ちゃん自身が「殺意のバカンス」をデビュー曲として歌いたいってことで決定されました。その大人びたセクシー路線に影響を受けたのは 前年暮れから「LIKE A VIRGIN」を大ヒットをさせたマドンナだったのでしょうね。その路線は翌年の代表作「1986年のマリリン」にも つながるわけです。
「殺意のバカンス」 歌いだしから既にアイドルではないから その手の作品(おいらのカテゴリーだと セクシー&グラマー系 山本リンダ 夏木マリ 安西マリア ゴールデン・ハーフ・・・)が子供の頃から 何故好きだったおいらは飛びつきましたもの。美奈子ちゃん デビューした夏には18歳だったから この曲でデビューしたというのも あながち間違いじゃなかったのかもね。そんな彼女が 歌とは また別な おばかっぽい面を見せてくれたのも 好感を感じましたね。
「みなこの お〇らは バラのかおり!」なんて ひょうひょうと言っちゃうところに ひっくり返りたくなっちゃいますもの。そういう所も好きだったな。
デビュー曲 セカンドシングル「好きと言いなさい」 三枚目の限定版ハート形シングルレコード「青い週末」( おいら’s「青い週末」参照記事 )とコンスタントに 週刊売り上げ20位前後にランクイン そして4枚目となる「Temptation(誘惑)」で初のトップテンヒット。そして「1986年のマリリン」「Sosotte」「HELP」「the cross(愛の十字架)」(ゲイリー・ムーア提供作)「Oneway Generation」「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」「HEART BREAK/SNEEK AWAY」・・・「つばさ」をはじめヒットを連発。一時バンドとしての活動も。そしてミュージカルに進出。ミス・サイゴン(キム役)での熱演は大賞賛されましたね。更には クラシック音楽への進出とその活躍 挑戦には 留まるところを知らずでした。
しかし 病に倒れてからも諦めることをしなかった 彼女のニュースを聞き目にする度に心が痛かった。何もしてあげられることは出来ないけれど 彼女のことを応援する気持ちは変わらなかったですね。少なくとも 旅立たれた彼女の残されたものを これからも思い出して語って行くことが 今ファンとしてできることなのかもって 記事を書かせていただいた次第です。なかなか彼女の育った モニュメントやミュージアムのある 埼玉・朝霞市には行けないけれど いつかその地に行ってみたいね。美奈子ちゃん 今日で歌手デビュー 40周年。きっと今でもどこかで歌っているだろうね。

そして 大好きなもう一曲。

「つばさ」 1994年05月25日発売 19枚目のシングル。CMソングとして流れ始め レコード会社を移籍しリリースと同時に シングルCDを買ったんだけれど この作品の中盤以降 とにかく真似の出来ないロングトーンを聴いた時 彼女は本物だなって再確認した日を思い出します。
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先週の火曜日だったかな 西の方に夏雲のような積乱雲がかなりの勢いで湧き上がって来てて 夕方くらいにはその流れてきた雲の真下を車で移動してました。もう気色悪い雲。☁💨☁💨☁💨こういう景色見てると なんだかテンション上がって来ちゃうんだよ~っ。おいらはやっぱり。。。お・ば・か。ぎゃは!
  
その数時間前に 道の駅へ たけのこ や リーズナブルな野菜を買出しに行ってきました。そしたら つばめが気持ちよく飛び回ってました。はるらんまん!

さ~て次回の更新は 今月最後。早いね。4/27 0:00更新の予定です。📝情報番組の天気予報では 花粉の時期(種類は忘れちゃったけれど)も ピークが過ぎたとか。なんか目が 目ヤニだったかのか?目頭がシバシバすることあったけれど 今年も発症してないと良いんだけれどね。まぁ乱高下の陽気だったから鼻風邪ひいたりしたけれど なんとかクリアできたかな。身体動かさなきゃね。歩くことはしているんだけれど 圧倒的にしっかりと運動的に歩けていない感じも。ダメだよね。あ~GWも もうすぐだね。おいらは関係ないけれど・・・。上手く気分転換もしなくちゃ。余計なことも考えないようにしておこう。そうしよう!というとこで 今回は このあたりにて では ぐな~ぃ! 
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☁| Comment(83) | 1985年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月13日

舞い 吹雪き 桜前線見送り。

先週の週明けくらいから 舞いだしたソメイヨシノは週半ばに花吹雪となり もう葉桜に変わりだしました。間違いなくおいら自身で忙しなくしていたこの季節も落ち着きを感じ 同時に疲れも感じているような気配がします。
  
かわって ポンポンと花をつける やや濃いめのピンク色の八重桜が見頃になって 
  
葉桜がそれを引き立てているように感じます。
  
花いかだは 今年も見れなかったけれど 心地よい春風の中で 花吹雪を感じながら桜前線を見送ることが出来ました。千葉市中央区 青葉の森公園にて。
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🎵さあて 今回の一曲はこのところ40年まえシリーズ(1985年のヒット曲)が続いていますが ヒット曲のサイクルがかなり早くなって 半世紀前のシリーズは なかなか根強くチャートが動きませんので 引き続きこちらは様子見です。あまり詳しいことは判らないというか 適当には記事に出来ませんのであえて深堀しませんが このところの米大統領の どうも自分勝手っぽく感じる発言や行動に違和感を覚えずにいられません。何時だったか評論家の誰かが 映画[バック・トゥ・ザ・フューチャ― PART 2]の 2015年にタイムトラベルをした状況下の中の 大資産家となった登場人物のような・・・と言ってた状況があらわになったとかって。。。ことが過ります。日本も他の国のこと言ってられない状況下だけれど なんとも考えたらどうにかなるって状況でもなく 底辺の人間がどうあがいてもって かやの外状態になっちゃうことが怖い気がします。 上手く表現出来なくてモヤモヤしちゃうんですが。 40年前の今頃大ヒットしたヒット曲のプロジェクトを動かしていた当時の 米ミュージシャンのパワーは 政治に限ったことではなく 多くの人々の小さな思いを結集し動かし 一大ムーヴメントを引き起こしましたよね。今の時代は 何が情報源として正しいのか そうでないのかと考える・情報を精査する余裕もなく選択を迫られるようなメディアの発達 時代背景が より複雑に絡まり困惑を招く そんな風潮に多大な危険性をはらんでますよね。あの頃のように ひとりひとりが自らの思いを利益にとらわれずイマジネイションを膨らませ ひとつの思いに賛同して 可能性を実現して行く 今思うと平和な時代を 
時間の流れの中に 人々の心の余裕があった頃を懐かしく思えてしまうのでした。それは もしかしたら おいらが時代に取り残されてしまっているとも言えなくないのかもしれないけれど。(記事を書いていて 上手く表現出来ないもどかしさが歯がゆくて。。。ごめんなさい。)今 どうにかしないと とても危険なことになってしまうんじゃないかと 毎日の情報収集でより判らなくなり悪循環を繰り返すんじゃないかって。
 
「We Are The World 」 USA for AFRICA 1985年04月12日(国内発売)左/シングル・ジャケット:右/2006年09月29日 日本国内発売 CD+DVD版・ジャケット
1984年 イギリスのミュージシャンが集まり アフリカ飢餓救済プロジェクトとして立ち上げた ”バンド・エイド”が大反響の中「DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS?」が大ヒット。そのプロジェクトに触発され アメリカで旗を揚げたのが 今回の USA for AFRICA。多くの有名 米大物ミュージシャンが 呼びかけに賛同して ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンの二人が作詞作曲を共作
 プロデュースにクインシー・ジョーンズが。 1985年1月最終的にはアメリカだけでなく世界を代表する45人のアーティストがレコーディングに参加。リリースされた作品は全世界で大ヒット。日本では シングルと12インチ・シングルでリリースされ同時に週刊セールスのベストテンにランクイン。(それぞれ最高位・売上が 10位 約18万枚/2位 約31万枚)シングルだけでなくアルバムや ロゴをプリントしたTシャツやカップをはじめグッズも販売され それらの収益は USA for AFRICA(このUSAには 二つの意味があり 米合衆国を意味するU.S.A.と ユナイテッド・サポート・オブ・アーティストの頭文字)として印税がチャリティとして寄付されたのでした。勿論大物ミュージシャンが参加したこともありますが このムーヴメントの広がりは 当時他に類を見ないものでした。安易に比較すべきではないけれども 今の世界情勢は真逆な負のスパイラルに巻き込まれているように思えて 何故にこう争わなくてはならない世相になってしまったのかが嘆かわしくて。。。とはいえ ひとりの力ではどうにもなりませんし・・・。せつなさも。何に原因があるかは 簡単に答えは難しいですが おいらが思うに大きな格差があったり 人を人と思わないような風潮が一部あったり あまりにも早すぎる時代の流れに 多くの人々が追い付こう追い付こうと必死になり 時間に情報にあらゆることに流されて 本来人の持っている力の及ばない所へ 向かおうとする無理が多くの格差を生んでいるのではないかと思うのです。技術の発展は喜ばしいことだけれども 人が人として技術に扱われるようなことになってしまうのは 非常に危険なんじゃないかなと。思うわけ。おいらは 学も経済力もないけれど 何もかも未熟だけれど 人としての最低限の倫理観だけは いつも忘れないでいることが大切なんだろうなと思って細々とだけれど生きています。憧れなんて きっとどんだけ追いかけても追いつかないんだろうね。そしていつか疲れ果ててしまって。スローだっていいよね。劣っていたって 否劣っているという表現は違うかもしれないけれど それもまたステイタスなんだと思う。人それぞれが違うのは当たり前なんだから。工場で作られる製品じゃないんだもの。・・・それでも 明日のこと 将来のこと 親や家族 家のこと生活感のこと 挙げたらきりなく 悩んじゃうんだけれどね。40年前 若さもあった 希望も見果てぬ夢もあった。良いことばかりじゃなくて。このままじゃ脱線してしまうね。今 無理は出来ないけれど スローで 心の余裕を持つことが 一番幸せなんじゃないかなって それが先に一歩踏み出す力に繋がると思ってる。幸せの尺度ってそれぞれ違うけれど ぽっかりと漂う心の中の炎は揺らさずに安定して持ってたいね。今回の作品の和訳を改めて読んでみると 何か見落としていることが見えてくるように思えるんだよね。そんな気がする。

あんまりにも 有名アーティストの登場が多いから それぞれを羅列出来ないけれど 多くの個性が集まったプロジェクトこそが 世界というものなんだろうね。(千葉に 袖ケ浦って地名があるんだけれど 友達がこの作品が大ヒットしてた時に ディオンヌ・ワーウィックさんがソロで歌うパート部分が ” Well, send them your heart”のあと 袖ケ浦つまんねぇ って聴こえるって聞いて大爆笑だったけれど。💣)
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前回 サードブログの隅田川界隈の記事で出し忘れていた画像。別に意味はないんだけれど ”鳥” ぎゃは!東京都の鳥 ゆりかもめ。😃
  
期間限定 MOWは 華やぐジャスミン ミルクティー。近くのスーパーでげと。(TOBU STORE)

四月も 真ん中になりますね。親も寒い寒いってストーブを点けなくなったので 今期はもう灯油買わないで済むかな・・・。またガソリン高めだしね。あ!町会費払わなくちゃいけないんじゃん。出費抑えられると思ったらそうはいかないんだよね。あ~。まぁなんとかやりくりしなきゃ。😞
次回は 4/20 0:00更新の予定です。📝 春です。また一歩踏み出して何か良いこと見つけに行きますかね!今回はこのあたりにて では ぐな~ぃ!
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☁| Comment(117) | 1985年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月06日

花見には 生憎の天気続き。

ソメイヨシノが開花してから 毎日雨の時間帯があって一日中降っていた日も。金曜日にようやく晴れたんだけれど 今年は花を愛でるには生憎の日ばかり。😞近年そんなことって無かった気がするんだけれど 今年の春夏も振り回されちゃう天気なのかな?!
  
  
雨あがりの夜桜。今週中には 吹雪きだすんだろうな。。。
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🎵さてと!今回の一曲は 40年前シリーズの1985年の今頃のヒット曲から。今ではヒット曲の流行のサイクルが早くて 季節感を感じる作品って 少ないなって思うんだけれど 今の若い子に昭和歌謡がにわかにも人気なのは そういう所にも要因があるとか。80年代の邦楽ポピュラーは ファッションなどにも見られる 季節を先取りしたキーワードやアレンジも重要なファクターでした。レコーディングもバンドサウンドやオーケストラのバッキングも生演奏が主流で そこにメディアのタイアップがあって 耳だけでなくテレビ等 視覚からのヒット曲も数えきれないくらいありましたっけね。今回の一曲は航空会社のタイアップで 春浅い頃にリリースされ初夏の頃には下火になりつつも ひと夏 否 終わってほしくない初秋くらいまで耳にしてましたっけ。前回の流れじゃないけれど ”NEVER ENDING SUMMER” 今回の作品は タイトルにある通り まさに夢心地な季節感が リゾートへといざなうサウンドでした。同時期のサザン や TUBEとは ひと味違ったトロピカルな風を運んでくれるようで。軽いドラムから始まるイントロの爽やかさで 既に夢心地な楽園へ。⛵
 「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」 杉山清貴&オメガトライブ 1985年03月06日発売 5枚目のシングル 最大の売上で代表作品。1983年4月「SUMMER SUSPITION」でデビュー。
杉山清貴がヴォーカルだった前身となるバンドはアマチュア時代から玄人界隈では話題の存在。ここではあえて詳しく踏み込まず割愛しますが デビュー作品である「SUMMER SUSPITION」は 週刊売り上げ最高9位 約27万枚の大ヒット。その作品の作編曲は 昨今のシティー・ポップスブームの立役者である林哲司。「悲しみがとまらない」杏里や「北ウイング」中森明菜 よりも少し前。まだ スマッシュヒットとなった「真夜中のドア~STAY WITH ME」松原みきからも三年。オメガトライブのブレイクによりサウンドメイカーの林哲司は 本格的に話題の存在となって行くのでした。その後も「ASPHALT LADY」「君のハートはマリンブルー」「RIVERSIDE HOTEL」(井上陽水作品とは同名異曲) とコンスタントにシングルをリリース。アルバムも三枚の作品がすべてベストテンに入る大ヒット。満を期した時期に この「ふたりの夏物語~」で 確固たる地位に君臨。サザン・オールスターズ (オメガトライブの後にデビューする)TUBEと共に 80年代の夏を彩ったバンドとして人気を誇りました。前二者のロックサウンドのイメージよりは やや違った都会的かつ洗練されたサウンドで J-AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック/代表的アーティストとして 角松敏生・山下達郎・・・)のジャンルとなり やや高めの年代や女性からの人気も高く カーCDが普及する前から (カーステレオでのリスナーの多く)カセットテープの売上もかなりのシェアを誇っていました。
書き出しでも触れたんですが 近年の打ち込みサウンドとはひと味違った アーバン&リゾート・サウンドという k他肘貼らずに聴ける ふぃ~りんぐ感覚が それを知らない世代には 目新しく新鮮に感じてシティー・ポップス・ブームという賑わいをみせたんじゃないのかなと。その後「サイレンスがいっぱい」「ガラスのPALMTREE」の連続ヒット。杉山清貴が ソロ活動を始めたと時期を同じくして ブラジル出身のカルロス・トシキを迎え 1986オメガトライブ~カルロス・トシキ&オメガトライブへと新たな オメガトライブ(プロジェクト名称)は 進化して行くのでした。

この頃って まだ車の免許を持っていなかったから 自分でイメージ選曲したカセット・テープを作って 友達の車の助手席で どんな風な感じに聴こえるんだろうかって聴かせてもらって 海に行ったりしたね。サザンやTUBEも勿論聴いたんだけれど このころ背伸びして 杏里 や 来生たかお 竹内まりや 和田加奈子 EPO 大貫妙子・・・なんか選曲してたな。🚗💨💨💨今でも 当時の音楽を車で聴くことがあるんだけれど 今はカセットテープもCD-Rになり あの頃と違って ひとりであの頃の道を思い出してステアリングを握ってね。泳ぎに行った海の方へは なかなか行けなくなったけれど。⛵夜中に外海(太平洋・九十九里 や 御宿・勝浦・鴨川とか)の方のドライブも行ったな。遠い夏。🌙
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ムスカリも咲きだして チューリップもつぼみが伸びてきた。今週 あたり咲くかな?
  
第一回フジパン ネオバタ総選挙!
    おいらは 彼(米粉さん)に一票!したYO。
    麦わら帽子が可愛かったから!😃
🔍 フジパン ネオバタ総選挙 投票サイト! ⤵
https://www.fujipan.co.jp/product/neo/neobatakun/vote/ 
4/1~4/30まで

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💡そうそう!今回は Seesaaブログ移行記念で サードブログの方にサポート記事として 三時間ちょっとのバカンス記事を臨時更新しましたので 良かったらご覧くださいね。 うらら~っ!😃
サードブログ きまぐれ JELLY-BEANS !! 2025年04月06日記事 URLはこちら ⤵ 
🔍 https://younosuke-j-beans.seesaa.net/article/513552643.html

先週は なんか疲れちゃった。SSブログ最後ってのもあったけれど なんかどっと疲れが出たのかな。ようやく寒気の戻りは無いって予報が出たみたいですね。しばらくは穏やかな陽気が続いてくれるかな。今週末あたりはソメイヨシノも吹雪いて 次の街に桜前線が北上するのかもね。次回更新は 4/13 0:00の予定です。📝今回は このあたりにて!それでは ぐな~ぃ!
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☀| Comment(96) | 1985年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする