石﨑由希子 先生編(専門:労働法 /研究テーマ群:成熟社会)
今回のインタビューは労働法がご専門の石﨑由希子先生にお伺いします。
Q. 石﨑由希子先生のご専門は、労働法とのことですが、労働法とはどのような分野でしょうか。
石﨑 労働法は、簡単にいえば“働く人”に関するルールを扱う分野です。組織としての企業と個人としての労働者との非対等な関係からすれば、自由に契約が結ばれると、どうしても労働者に不利な内容になってしまう。それに対して国家が介入し、労働者を保護するために発展してきた法領域です。
伝統的に労働法は、労働者が会社組織に縛られて働くことを想定してきました。しかし近年、ひと言で“働く人”といっても、より柔軟で自由な働き方など、様々な形態での働き方が増えてきました。そのため法や規制のあり方も、従来の一辺倒なあり方でいいのかが問題となってきています。また、これまでは企業に勤める労働者だけを保護してきたわけですが、フリーランスなどの個人事業者に、労働法の保護を拡大していくべきか、労働法ではなく他の法領域による対処が必要か、それぞれの法律がどう連携していくべきか。このような議論が、今、最も注目を浴びている領域です。このように、労働法は、時代や働き方の変容に伴って、変化の多い分野です。
Q. 労働法との出合いは何ですか?
石﨑 大学時代、労働法のゼミに入りました。労働法を選択した理由の一つは、他の法領域に比べて、“働く人”を扱う身近な学問に思えたことが大きいです。
その後、法科大学院に進学し、そのときには弁護士になろうと思っていたのですが、そこで再び労働法を学んだ際に、この分野で実は分かっていないことがまだまだあったと痛感しました。また、時代とともに変化する分野なので、さらに研究を続けたいと考えるようになりました。ドイツ留学時代の友人から刺激を受けたり、指導教員から「研究者の道も良いのではないか」と助言をいただいたり、そうしたことに背中を押された面もあったかもしれません。労働法の研究者は、研究教育だけでなく、実務や立法過程に携われるということにワクワクして研究者の道を選びました。実際、労働委員会で会社と労働組合間の紛争解決実務に携わらせて頂いたり、厚生労働省等が主催する研究会等の委員を務めさせて頂いていますが、その中でいろいろと刺激を受けています。
労働法の中でも、病気休職者に注目されるようになったのはなぜでしょうか?
石﨑 ロースクールを修了して、大学院に助教として採用されてからは、病気休職せざるを得ない労働者に対して、会社はどういう配慮をどこまでしなければならないか、どういった状況であれば雇用を終わらせることもやむなしとみなされるのか、といったことついて研究してきました。
研究テーマを決める直接のきっかけになったのは、裁判例を分析する研究会で最初に扱った判例が、視覚障害を発症したタクシー運転手さんが解雇された事案だったということです。判例評釈という形で一度その検討結果は出したものの、それをさらに深掘りして研究していきたいと思いました。
病気は人間誰しもかかりうるもので、モノではなく労働力をやり取りする労働契約とは密接不可分の課題だといえます。「病気ならしょうがないよね」ということはあるのですが、他方で、労働契約は働くことを目的としている契約ですから、働けないという異常事態に対してどう法的に対処するのかという、そこに理論的な面白さを感じましたね。
障害者雇用についても研究されていらっしゃいます。
石﨑 重い病気に罹患された方の中には、中途障害を抱える方もいるので、障害者雇用法制も関わることになります。特に、2013年に障害者雇用促進法改正により導入された「合理的配慮」の提供義務を尽くしたかどうかは、休職期間満了を理由として解雇をするときなどに重要な問題となります。また、共同研究者とともに、障害者を雇用する特例子会社などを訪問調査させて頂くことを通じて、障害者雇用・就労法制にも関心を持つようになりました。
共同研究の最初の問題意識は、「合理的配慮」が現場でどのように受け止められているのかを知りたいというものでした。ひと言で「配慮」といっても、会社や事業所ごとに受け止め方、取り組み方は非常にばらつきのあることが分かりました。
また、障害者の働く場としては、民間企業や特例子会社などの「一般就労」とは別に「福祉的就労」の場もあります。この福祉的就労の場を提供する各事業所において、一般就労に向けた訓練を重視するのか、その事業所で長く働き続けることを重視するのか、様々な考え方があることが分かりました。
共著書『現場からみる 障害者の雇用と就労』について解説いただけますか?
石﨑 これは、共同研究者とともに、特例子会社の他、福祉的就労の場である就労継続支援A型・B型事業所に訪問させていただいて行った実態調査をまとめ、今後の望ましい法政策のあり方について提言したものです。
現在、国の政策として一般就労への移行に重点が置かれていますが、その中で取り残されてしまう方々が出てしまわないような政策が必要だと感じました。
また、これまで障害者雇用については、雇用の数を増やすことに重点が置かれてきました。これは必ずしも障害者に限った話ではありませんが、働く人一人ひとりのキャリアをどう発展させていくかといった視点は、法政策において、これまで以上に大事になってくるだろうと感じています。
法学においては、裁判所の判決の研究、立法過程の研究、外国の制度との比較、この三つが基本的な研究スタイルですが、今回のこの研究では、法社会学を専門とされる研究者にも入っていただき、実態面から法制度を捉えていくという方法で研究したもので、私にとっても新たな挑戦となりました。
Society5.0と先生の研究にはどのような関係があるとお考えですか?
石﨑 Society5.0というスローガンの下、科学技術の発展だけでなく、人間中心の社会というある種の成熟した社会像が目指されていますよね。ICT技術の発展そして今般の新型コロナウイルス感染拡大に伴い広がったテレワークは、ある面において、病気や障害、あるいは家庭責任など働きづらさを抱える人にとって、より働きやすく、生きやすくすることを可能とする手段ですが、他方で、働く人同士の関係性をどう築くか、健康状態をどのように把握するかなど新たな課題も生じています。テレワークについては、論文を何本か書かせていただきましたが、今後ICT技術が更に発展する中で、課題が解決されたり、新たな課題が生じたりしていくことが予想されます。
また、古くて新しい安全衛生の分野では、まさに技術が発展し、医学や工学の知見が進展していくとともに法制度も姿を変えてきたという歴史があります。科学技術と法学の関係やより望ましい規制手法のあり方を検討する上で非常に興味深い領域です。
最近、新しくご自身の研究と結び付けて考えたら面白そうだなと思った分野は何ですか?
石﨑 既に生じ始めている現象ではありますが、AI技術が更に発展して、人の代わりにロボットが仕事をするようになってきたとき、うまく使えば、働きづらさを抱えている人にとって働く機会がより増える部分もある一方、AIによる労働代替やそれに伴うキャリアディベロップメントの課題などがあると思います。また、生体認証などを利用した勤怠管理・健康管理ツールの活用についても、データの取扱いに係る法的課題のほか、人間らしい働き方という観点からも気を付けなければならない課題があるはずです。近年、新規科学技術の研究開発・社会実装に際し生じうるELSI(倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったもの)についての認知が高まっていますが、法的課題(L)だけでなく、倫理的(E)、社会的(S)課題についても目配りしながら、研究を進めていく必要があると感じています。
先進実践学環でご担当されている労働法特論では、どのような内容が学べますか?
石﨑 労働法特論では、大学院の科目ということで、労働法全体を広く浅くというよりは、その時々のホットトピックを取り上げて、それを掘り下げる形をとっています。
裁判例を分析する、立法過程を検討する、学説の議論を追うという、法学における基本的な研究手法を体験してもらうことに重点を置いています。判例の分析ということでいえば、評価が分かれそうな判例を選び、それについて原告・被告に分かれてロールプレイングを行うこともあります。また、労働立法の場合は、内閣が法案を作るにあたり、厚生労働省内で公益委員・労働者側委員・使用者側委員の三者構成での審議会で議論が行われるのが基本となりますので、そこでの議事録や資料を読んでもらい、課題を抽出してもらうこともあります。学説についても、学界で見解が固まっていない、説が分かれているような問題について、論文を読んでもらって意見を戦わせるなど、そのような講義内容になっています。いずれにしても、学生同士での議論をたくさんしてもらうようにしています。
先生の研究室に所属している学生は、どのような内容を研究していますか?
石﨑 過去に扱われたテーマとしては、非正規労働者と正規労働者との間の格差是正に係る規制、柔軟な働き方に関わる法制度、個別労働紛争解決制度等に係る検討などがありました。法学の議論には、裁判所や行政機関等において法律をどのように解釈するべきかという解釈論と、解釈では対応しきれない問題について、国会における立法で対応するという立法論がありますが、いずれかを扱う修士論文もあれば、その双方を検討するものもあります。私自身が研究をする際には、ドイツの法制度との比較をすることが多いですが、留学生は、自国の法制度と日本の法制度を比較するので、私自身も勉強になります。
また、課外活動として、指導学生を連れて裁判傍聴にいくこともあります。学生の感想はさまざまですが、一つ一つの事件で問題となる争点、そして各争点に対する判断の積み重ねによって判例のルールが形成されているということが実感できたり、特に、法制度で対応しきれない社会課題を認識できたりしているようです。
先進実践学環で学ぶことのメリット、文理融合の意義はどこにあると思われますか?
石﨑 今起きている様々な課題は、一つの学問領域からのアプローチだけでは解決できないことが非常に多いので、学問の枠にとらわれずに研究できるということは、学環の非常にいい部分だと感じています。
私は、安全衛生に関わる領域についても研究対象としていますが、そのきっかけとなった厚労科研の研究会では、法学だけでなく、安全工学や医学を専門とされる研究者の方や元監督官、安全衛生コンサルタントの方など実務に携わられる方も多数参加されていました。異なる分野の方のご報告を聞くのは大変勉強になりました。
また、障害者雇用については、今、横浜国立大学内で、経営の二神枝保先生、教育の泉真由子先生、環境情報の熊﨑美枝子先生などとも一緒に研究させていただいています。分野の枠を超えて意見交換させていただくことは大変面白く、刺激を受けています。
逆に、文理融合の難しさはどこにありますか?
石﨑 分野が異なると、バックグラウンドにしている学問的な手法、言葉の使い方にも違いがあります。法学者であれば当然に知っている考え方や言葉であっても、そのまま使ってしまうと他の分野の方には伝わりませんから、自分の領域をいかに分かりやすく伝えるかという工夫が必要です。ただ、それによって、自分の領域の理解に繋がりますし、分かりやすく伝える力は社会に出た後も様々な場面で求められますので、学環で異分野の人同士で話す経験を積むことができると、将来役に立つのではないかと思います。
横浜国立大学大学院国際社会科学研究院 国際社会科学部門 准教授。労働法の研究に従事。学環での担当科目:労働法特論。