熊崎美枝子 先生編(専門:エネルギー物質化学、プロセス安全工学、安全管理、安全教育/研究テーマ群:リスク共生学)
今回のインタビューはエネルギー物質の安全利用研究がご専門の熊崎先生にお伺いします。
Q. 熊﨑美枝子先生のご専門は、エネルギー物質の安全利用研究とのことですが、エネルギー物質の安全利用研究とはどのような研究分野でしょうか。
熊﨑 まずエネルギー物質化学から説明させていただくと、分解・爆発・燃焼で大きなエネルギーを発生させる「エネルギー物質」の有効利用や、それを安全に取り扱うための方法について考えていく分野です。「エネルギー問題」といった言葉からの類推で、電気エネルギーを扱うと考える方もいるのですが、エネルギー物質化学の場合、分解によって熱やガスなどを発生する物質が研究対象です。エネルギー物質にはイプシロンロケットなどに使われている固体推進薬や花火をはじめとして様々な種類がありますが、私はガス発生剤を研究して学位を取りました。ガス発生剤は名の通り大量のガスを発生させる物質で、例えば車に搭載されているエアバッグはその応用例の一つです。車体に強い衝撃が加わると衝撃診断回路が働いてガス発生剤に着火し、出てきたガスがバッグを急速に膨らませて乗車している方が車体に激突することを防ぎます。このように非常に激しい現象を有効に利用するための分野です。
今、ビッグデータの時代と言われていますが、日々膨大なデータが更新されていく状況で、それをすぐさまできるかぎり早く分析し、次の意思決定に結びつける、そんなことに今は興味を持っています。
激しい反応を対象とした専門と、「プロセス安全工学」「安全管理」「安全工学」といった『安全』を標榜する専門は矛盾しているように見えるかもしれません。でも、非常に激しく熱やガスを発生する現象は制御を誤ると爆発火災といった悲惨な事故につながります。エネルギー物質を扱うためには安全についての知見が必須なので、この2つの分野はとても近いのです。私はエネルギー物質を扱っていた経験を活かして、本学に着任する前は、働く人の怪我や死亡などの「労働災害」を防いで安全な職場にするための研究を行う厚生労働省所管の産業安全研究所(現・労働安全衛生総合研究所)に勤務していました。
Q. 爆発物質の利用と安全、同じ研究でも利用目的が異なるということでしょうか
熊崎 「爆発」という言葉から「危険」という言葉を連想される方は多いと思いますが、「安全」という言葉は浮かびにくいかもしれませんね。
エネルギー物質の研究では、より多くの熱やガスを発生させるといった性能に目を向けています。かたや安全という側面からの研究では、どのように反応を制御すれば爆発や火災に至るのを防げるか、こうしたことに着目します。つまり安全の研究でも不安定な物質を扱いつつ、どうしたら危険を回避できるかを考えていきますので、世の中への提案は違うのですが、対象とする現象の本質はあまり変わらないと言えますね。
Q. 大学では、プロセス安全工学研究室を担当されています。
熊崎 化学反応プロセスは、化学反応を利用して目的とする物質を作るための「反応」「蒸留」「晶析」といった工程を組み合わせたものです。プロセス安全工学では物質そのものがもつ危険性というよりも、物質の置かれている状況と発現する危険性を考え、爆発火災を防ぎながら利用していこうとしています。同じ物質を作る場合でも作り方、プロセスはたくさんあって、組み合わせ方や条件によって危険性が変わります。簡単な例でいえば、希硫酸をつくるために水に濃硫酸を加えるよりも、濃硫酸に水を入れる方が危険性は高いです。これは単純な例ですが、化学物質の扱い方によって変わってくる危険性を研究しています。
Q. 工場内の安全性というのは、以前に比べて高まっているのでしょうか。
熊崎 工場で火災があると大きなニュースになりますが、事故件数自体は減っています。労働災害について言えば、高度成長期には多発していましたが、1972年に労働安全衛生法が施行されたころから発生件数は大幅に減少しました。しかし、現在でも発生件数はゼロにはなっておらず、下げ止まりの状態が続いています。作業現場が無人になれば労働災害はゼロになるかもしれませんが、研究施設など人が介在する部分は残るので、安全の考え方は今後も必要だと思います。
Q. エネルギー物質との出合いは何ですか?
熊崎 もともと文系科目のほうが好きだったんですが、かつて世界中で問題になったサリドマイド薬害について、何かの文献を読んだことがきっかけで、化学に強い関心を持つようになりました。
サリドマイドによる被害は、アメリカではあまり生じなかったそうなのですが、それはアメリカのFDA(:Food and Drug Administration 食品医薬品局)の審査官を務めていたフランシス・ケルシー博士の功績が非常に大きく、「この薬品は十分に安全性が検証されていない」ということで申請を許可しなかった、その判断がアメリカにおけるサリドマイド禍を防いだ、というものでした。私は当時高校生だったのですが、化学の知見をもとに危険性を判断して社会に貢献できる、ということに感銘を受けて、化学を学びたいと思うようになりました。
エネルギー物質との出合いということでいえば、大学でたまたま聴講した安全工学の講義がきっかけです。それまで安全とは「なんとなく良いこと」程度の認識だったのですが、安全が学問になる、ということに驚きました。また、その講義でエネルギー物質についても学びました。多くの化合物がある中で、化学構造上ほんのわずかな違いで――少なくとも当時の私にはほんのわずかに見えたんですが――、非常に分解しやすくなって大きなエネルギーを発生する、ちょっとした違いが挙動に大きな違いを与えることに非常に興味深く感じたのが、エネルギー物質を研究したいと思ったきっかけです。
Q. 学外で活動されていることについて何かご紹介いただけますか?
熊崎 安全には法律や所管する官庁の役割も重要なので、省庁の委員会の委員として活動しています。
また、全国花火競技大会で知られる大曲の花火大会の審査員を務めることになりました。大曲の花火大会では花火師さん達が腕によりをかけた花火が打ち上げられます。日本の花火は非常に技術レベルが高く、一瞬の芸術は感動的ですよね。
花火の色や形をデザインする上で燃焼速度の制御が非常に重要で、組成物の1つである木炭は天然物ですから品質が変わりやすいです。そのような条件の中で様々な技巧を用いた表現が実現されています。
Q. 趣味などがあれば教えてください。
熊崎 あえていえば、歩くこと、そして旅をすることですね。車での移動は出発地点と目的地を速く繋いでくれるのですが、私にとってはあまり記憶に残らなくて、歩くスピードは私の認知するスピードにたぶん合うんでしょうね。歩けばちゃんと場所が頭に入ってくる、そんな感じがします。
研究で頭が煮詰まってしまったときにも、大学構内をグルグル歩くことがあります。頭の中が少し整理されるのかもしれません。じっくり考える研究と、歩くこと、何か共通点があるのかもしれないですね。
学環でご担当されている「化学反応プロセスとリスク管理」では、どのような内容が学べますか?
熊崎 先ほども申し上げたように、化学物質を作ろうとすると、様々な化学反応プロセスが考えられます。お料理と一緒で、同じ肉じゃがを作るにしても、素材の入れ方のタイミングなどは人によって違います。ただ、料理の場合は味や風味が違うだけですが、化学反応プロセスでは、下手をすれば爆発火災が生じてしまいます。「化学反応プロセスとリスク管理」では、どんなところに気をつけたらよいのか、どんなところにリスクがあるのか、を深掘りではなく概観しています。
学環が掲げるSociety5.0と先生のご研究にはどのような関係があるとお考えですか?
熊崎 Society5.0ではサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムが活用されます。すでにフィジカル空間から取り出したデータをサイバー空間で処理して、フィジカル空間にフィードバックすることで、事故の発生を回避しようとする取り組みは行われています。その意味では、エネルギー物質の有効利用と安全の確保は、まさにSociety5.0の想定する社会の有り様の一つと言えます。データを活用すれば、より緻密に人々の暮らしの安全を確保できるかもしれないですね。
学環で学ぶことのメリット、文理融合の意義はどこにあると思われますか?
熊崎 どの分野もそうだと思いますが、講義では分野のエッセンスが取り出され、体系化して話されます。その分野のパッケージ化された重要なポイントを手に入れられるというのはとてもお得で、それを様々な分野で体験できるというのは、学環で学ぶ非常に大きなメリットだと思います。
また、複雑な現代社会では、世の中の問題解決のために様々な分野の知識を活用することが求められますから、文理関わらず様々な分野を幅広く学べるというのはとても大きなメリットだと思います。
逆に、文理融合の難しさはどこにありますか?
熊崎 文理に限りませんが、異なる分野の人と共同で何か行うときに、分野が違うと土台となる認識が違ったり、そもそも言葉の定義が異なっていたりして話が嚙み合わないこともあります。議論を始める前に、すり合わせから始めなければいけないことも多く、そこで時間がかかることもあります。でも、相手の分野への理解が少しでもあれば、その難しさの部分がかなり軽減されると思いますね。学環での学びはその理解を得ることにとても役立つと思います。
学環ではどのような学生を期待しますか?
熊崎 学生の皆さんには、様々な分野に好奇心を持っていただきたいです。様々な分野に対して面白がることができれば、受け身ではなく能動的に取り組むことができ、学びを非常に豊かなものにしてくれると思います。
横浜国立大学大学院環境情報研究院 人工環境と情報部門 准教授。エネルギー物質化学、プロセス安全工学、安全管理、安全教育の研究に従事。先進実践学環学環での担当科目:化学反応プロセスのリスク管理Ⅰ、Ⅱ。