2024年 05月 31日
学習 |
ゲームというゲームは何でも好きなのに、チェスを知らなかった。
はるか昔に夫が教えてくれたのに、遊べるところまで理解できなかった。
折あるごとに、チェスを覚えることをみあも夫もわたしに勧めるのにのに気が乗らなかったけれど、夫がまた教えてくれるのだからこんなありがたいことはないんだぞ、と厚意に預かった。
夫は何にしても、教えるのがうまい。
わたしは夫から教わったことが多い。
短気な人柄なようでも、教えるのに長けているということは、辛抱強くなければできないことだ。
習うのに、なんども同じことを訊くのは気の毒だと、それぞれの駒の動きを書き留めようとすると、そんなことをするな、覚えれられないことは何度でも訊いていい、というのに甘えたら、意外にもすんなりのみこめた。
その夜は、ベッドに入ってもチェスのことばかり考えて、翌日のレッスンが待ちきれなかった。
新しいことを覚える、学ぶ、ということは愉しい。
いままでできなかったことができるようになるとは、素晴らしいことではないか。
また、教えてくれるというひとが身近にいるという幸運を思い過してはならない。
歳をとると新しいことを習うことに臆病になる。
若かったころのようには覚えられない、と弱気になる。
習うものにもよるけれど、のみこみに時間がかかるようになっても、年をとったからこその集中力、忍耐力、理解力、冷静さ、はむしろ若かったころよりも身についたような気がする。
みあは折あるごとに、わたしの気の進まないことを提案して、わたしが濁った返事をしても諦めないで、時間をおいてその案やまた違うことを持ちかけてくる。
こんなに言ってくれるのだからと、義理のつもりでみあの誘いに乗れば、それがおもしろくて夢中になることもあって、みあや夫がそんなわたしを笑うのは、ころりと気が変わるわたしをおもしろがっていると同時に、祝福してくれているのだ。
こんな提案をしてくれるうちがいいのだ。
ママには何を言っても聞く耳を持たない、何にも興味がない、と諦められるようになったらいけない。
誘いがあるうちは、まだ見下されていないということだから、ありがたく誘いに乗って、ママにこんなことができるなんて、と言わせるくらいのことをしよう。
居心地の悪いー
uncomfortable
なことには遠ざかっていても、uncomfortableなことこそが自分に必要だと気づくことがあるものだ。
by ymomen
| 2024-05-31 01:20
| アメリカの季節
|
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Comments(2)
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nanamin_3 at 2024-05-31 07:52
新しいことに挑戦するのは、冬の寒い日、細く窓を開けて濁った空気を入れ替えるのに似ている気がします。
居心地がいいと思っていた環境が、一筋の空気の流れでもっと居心地が良くなるような、そんな感じ。
素敵な先生がお近くにいるなんて、素晴らしい~。私も囲碁や将棋を知りません。
居心地がいいと思っていた環境が、一筋の空気の流れでもっと居心地が良くなるような、そんな感じ。
素敵な先生がお近くにいるなんて、素晴らしい~。私も囲碁や将棋を知りません。
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ymomen at 2024-05-31 23:48
ななみんさん
そんな感じです。
ちょっとだけでも新しい風を取り込む、みたいな。
どんな小さなことでも、きのう知らなかったことをきょう覚えたら、わずかでも自分は進化できている気になります。
昨日知らなかった花の名前を覚えることでも。
碁は上達してないのですよ。
将棋は日本のチェスだといいますね。
これもまだ知りません。
知らないことだらけです。
そんな感じです。
ちょっとだけでも新しい風を取り込む、みたいな。
どんな小さなことでも、きのう知らなかったことをきょう覚えたら、わずかでも自分は進化できている気になります。
昨日知らなかった花の名前を覚えることでも。
碁は上達してないのですよ。
将棋は日本のチェスだといいますね。
これもまだ知りません。
知らないことだらけです。