2023年 03月 29日
風がつめたい日 |
ここは晴天がほぼ毎日の土地で、珍しく雨が降ると犬の汚れた足が室内を汚すのがうっとうしいが、雨が頻繁に降るところに住んでいればなお面倒なことだろう。
きのうも晴天だけど、風が強かった。
ゴミの回収日で、歩道脇に出したゴミ容器が風に倒されていた。
うちのごみは少ないので倒れやすいが、ゴミの多い家のはその重みで倒れない。
それでも大きな蓋が風にあおられて、その勢いで倒れると、中身がそのあたりにこぼれるから漬物石くらいの石を蓋に乗せ、封じ、かつ倒れないようにしている家もある。
一年中風の強い場所がらで、窓を閉め切っている冬でも、台所のカウンターやらテーブルやら、ごく細かい砂塵が侵入してうっすらと積もる。
近所のポーチの籐製の椅子やクッションが飛ばされて、よその家の庭に転がることもある。
西部劇映画によく映されるタンブルウイードもどこからかころころ転がってきて、雪だるま式にいくつかの株をとりこんでは大きくなって庭のフェンスにひっかかっていることもある。
二重式窓ガラスの底にも砂塵がたまる。
気温があるていど温もっても、風が強く、またその風が冷たいと、うんと寒く感じるものだ。
春のようでも、まだ冬の切れ端が残っている。
ここから車で3時間北上する大学町に住むあきらからは、雪で休校になったと聞いた。
”風がつめたい”
そう思っても、口に出してみても、父を思い出す。
父が一日のほとんどを床で過ごすようになっても、朝玄関に出て門を開いて、朝刊をとり、夕刻には門を閉めるのが習慣だった。
帰省していて、寝坊したわたしに、おはよう、きょうは風がつめたい、と言ったのが、ずっとずっと耳から離れない。
昇天した父は肉体から自由になって、魂はわたしのそばにいてくれているように感じることがしばしばある。
最後に帰省したときに、やあ、あと10年はだいじょうぶ、とわたしに笑ってみせた。
そのとき、浅はかにもわたしはその言葉をまともに受け取って安心した。
そうじゃなかったと気がついたのは、うんとあとのことで、父はわたしを安心させてアメリカの家に帰したかったのだ。
もしなにかあっても、心配するな、自責するな、魂だけになったら身軽になって、風に吹かれていつでもお前に会いにいく、と言いたかったのだ。
父にありがとうと言うたびに、嫌がられた。
水臭い、そんなことを言うな、とわたしを嗜めた。
by ymomen
| 2023-03-29 04:18
| アメリカの季節 春
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