コンサート雑感、今回は令和6(2024)年10月20日に聴きに行きました、藝大プロジェクト2024「西洋音楽が見た日本」第1回である、「ティトゥス・ウコンドン 不屈のキリスト教徒」のレビューです。
藝大プロジェクトとは、東京藝術大学が行うコンサートのことで、一つのテーマを特集するものです。今年2024年は「西洋音楽が見た日本」と題して、2回を予定されております。今回はその第1回目として、ミヒャエル・ハイドン作曲の音楽劇「ティトゥス・ウコンドン 不屈のキリスト教徒」が取り上げられました。
ミヒャエル・ハイドンはクラシック音楽ではよく知られた作曲家であるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟です。私も以前ミサ曲などをこのブログで取り上げております。ミヒャエル・ハイドンに関する私のエントリは「かんちゃん ミヒャエル・ハイドン」で検索していただきたいと思います。まずミサ・ヒスパニカのエントリがヒットして、その欄外に過去に私が上げたミヒャエル・ハイドンのミサ曲に関するエントリが並んでいるはずですので、ぜひお読みいただければと思います。
ja.wikipedia.org
さて、私の過去のエントリを皆様に検索していただく手間を取らさせていただくことになったのは、この音楽劇が結構ヴォリュームがある作品だからです。そもそも、「西洋音楽が見た日本」なのになぜミヒャエル・ハイドン?と思った方もいらっしゃるかと思います。ドビュッシーなどもっと後の時代なのではと思う方もいらっしゃると思います。実際私もそう思っていた一人です。ところがです。17世紀~世紀にかけて、ヨーロッパでは日本を取り上げた音楽劇が盛んに上演され、そのための音楽も作曲されているのです。その一つが、「ティトゥス・ウコンドン 不屈のキリスト教徒」です。
実は、ティトゥス・ウコンドンとは、戦国~江戸時代の戦国武将である、高山右近のことなのです。
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高山右近はキリシタン大名です。「ウコンドン」は「右近殿」がなまって発音されたものだと言われています。「ティトゥス」は当時同様に取り上げられていた大友宗麟(彼もキリシタン大名)の家来の名前と言われており、混同されたと解釈されています。実はこの音が劇以外でも高山右近は取り上げられており、その時は「ユストゥス・ウコンドヌス」という題名になっており、ユストゥスは高山右近の洗礼名である「ジュスト」から来ています。洗礼名がミヒャエル・ハイドンが作曲する時には大友宗麟の物語と混ざったのだろうと、当日配られた冊子の中で慶應義塾大学の西川尚生教授(音楽楽)が述べられています。
そもそも、大友宗麟もヨーロッパではよく知られたキリシタン大名で、絵画にもなっていることは先日放送されたMHK「歴史探偵」でも取り上げられています。ではなぜそれだけヨーロッパで取り上げられているかと言えば、当時日本に来ていた宣教師がイエズス会に逐一報告をしていたからです。
この「ティトゥス・ウコンドン」もそういった宣教師からの報告が背景にあって成立しています。とはいえ、ミヒャエル・ハイドンが作曲したのが1770年と高山右近が活躍した時代からはすでに200年近くの時代が立っています。高山右近がマニラで病死したのが1615年。そこから数えても155年がたっているわけです。なのでどうしても高山右近の実情からはかけ離れた、ヨーロッパ人の想像の物語になっています。とはいえ、実はそのテクストを見ますと、日本史を勉強した人であれば歴史に即した情景がいくつも入っており、特に豊臣秀吉から徳川家康の時代にかけての禁教令、伴天連追放令などの史実に即した内容にもなっているのが特徴です。西川教授は当時の音楽劇の影響を受けていると述べられていますが、それは明らかに宣教師の報告が元になって様々な音楽劇が作られたため、「ティトゥス・ウコンドン」もその歴史の延長線上にあると言っていいと思います。
http://mozart.music.coocan.jp/258.pdf
そもそもこの日本人キリシタンたちを取り上げた音楽劇は、カトリック教会の学校において上演される学校劇でした。西川氏の記述に寄れば、学生がその上演の中心になっていたとのことで、キリスト教の教義の教育の側面があったわけです。そのためか、特にこの「ティトゥス・ウコンドン」ではキリスト教の教義を守ることにストイックな様子が描かれており、ともすれば狂信的です。一方、ウコンドンの家族以外の人たちはキリスト教に対して懐疑的、あるいは否定的で、むしろ棄教を進めるくらいですし、信仰も守るためなら死を選ぶという選択をおろかだとというセリフもあります。なぜキリスト教の教育でそのようなセリフなのか?と言えば、恐らくそれも宣教師の報告を下敷きにしていると言えるからです。実際、今回の上演に関してはセリフの変更は重複などの削除にとどめほぼそのままとのこと。
「ティトゥス・ウコンドン」は1770年にまずラテン語で上演されますが、その4年後の1774年に今度はドイツ語で上演されています。ウィキベテアでは1774年で記載がありますが、実際にはその4年前に初演されており、筋書には変更がほぼないそうです。今回の上演は250年ぶりの復活公演とのことですが、テクストは1774年にドイツ語で上演されたものに即しているそうです。
この音楽劇に於いて、音楽は実はごく一部ですが、実は音楽劇そのものとはっきりわかっているのは二つの合唱だけ。後は他のミヒャエル・ハイドンが作曲した作品を転用しつつ、恐らく一緒に演奏されたであろうと推測されている舞曲が入っています。今回の上演は具体的には以下の通りになっていました。
オラトリオ「悔悟する罪人」MH.147「序曲」
第1幕「ウコンドンへの恩寵」
音楽舞台劇「祖国への敬虔」MH.148より「フェルトムジーク」
第2幕「ウコンドンへの陰謀」
合唱「主に向かって喜ばしく歌を歌え、僕たちよ!」MH.142
バレエ曲MH.141より第1部
第3幕「ウコンドンへの憎悪」
第4幕「ウコンドンの寛大で強い心」
合唱「鹿が川の流れに向かって走っていくように」MH.143
バレエ曲MH141.より第2部
第5幕「ウコンドンの三重の勝利」
このほかには、カーテンコールにおいてもミヒャエル・ハイドンの曲が演奏され、盛り上げていました。また、当時の史料からは確認できていませんが、演出家の判断で打楽器が別に配置され(当時効果音を電子楽器かカセットテープなどのメディアを使うなどと言うことはなかったため)、管弦楽(ピリオド楽器)が客席から見て左手、打楽器が右手に配置されました。合唱団はホールのパイプオルガンの席のところに配置されました。なお、ホールは東京藝術大学奏楽堂。よく知られている上野公園の中にある旧奏楽堂ではなく、東京藝術大学音楽学部に学生のための施設としてキャンパス内にあるホールです。当たり前ですが何と響きのいいホールであることか・・・
その管弦楽、打楽器、合唱団はすべて東京藝術大学音楽学部の学生が担当。演じるのはプロの俳優の方々。舞台装置や衣装などは東京芸術大学美術学部の教授や学生が担当。私は音楽学部だけかと思っていましたら、美術学部も参加していることに驚きました。まさに「藝大プロジェクト」という名にふさわしい布陣だと思います。さすがに俳優は藝大では無理なのでプロを読んだのでしょうが、それ以外は全て大学総出というのはいいなあと思いました。私は中央大学文学部史学科国史学専攻卒業ですが、サークルは史蹟研究会だったので、学祭が近づいてくると各班ごとに展示のためのアトラクションを、夜なべをして作っていたことを思い出します。あの時は音楽をやっている人たちは一丸になっていていいなあと思っていましたが、今回の藝大プロジェクトでも音楽学部の学生は演奏で、そして演劇のほうでは美術学部の学生がそれぞれ上演と言う一つのアトラクションを作り上げるために、夜なべをしたこともあったんだろうなあと思いますと、微笑ましく思いましたし、音楽学部の学生の演奏はプロと言われても分からないほどのレベルでした。その高いレベルが、劇を盛り上げる役割をしっかり担っていました。
この劇の取り上げるということはある意味を持つわけですが、ブックレットでは芸術に触れることによって世界を知るためという趣旨のことが書かれてありましたが、同感です。最終第5幕においてはウコンドンの信仰によって危機が訪れますが、実は第2幕あたりからウコンドンとショーグンサマ(豊臣秀吉と徳川家康が一緒になったようなキャラクター)を追い落とすため、過信と僧侶が悪だくみをして計略するという物語になっており、最後でその悪だくみが明らかになって、本来処刑されるはずだった家族が生きていることに発狂して「なぜ生きているのだ!信仰は?」と叫ぶシーンなどもあり、信仰とは?と問いかけるものにもなっています。これは作曲された1770年というタイミングもあるかと思います。ちょうど教会の権威が低下していく時代が背景にあるわけです。さらに仏教がキリスト教を非難する場面では、私など日本史に詳しい人であれば「仏教だって一向宗などは近いのでは?」と思いますし、また政治による宗教弾圧も一向宗もそうですしまた鎌倉新仏教でも日蓮宗なども弾圧を受けています。そしてその風景は現代でも世界を見回せばいくらでもあるわけで、実に現代的な問題を提起している普遍的なテーマを持っているわけです。それを芸術に触れることで一人一人が考えるきっかけになることが、私は芸術の役割だと信じて疑いません。私自身も今回の上演に関して共感した一人です。むしろテーマとしてそれがあるはずだと思ったからこそ、今回チケットを取った次第でもあるのです。なんと言っても日本史の「文学士」です、私は。
クラシック音楽と日本史をこよなく愛する私は、このコンサートはどうしても行かねば!と思った次第だったのです(実は八王子ではアマチュアオーケストラでベートーヴェンの第九が演奏されるにも関わらずそっちは断念しています)。芸術の普遍性をこれほど感じるコンサートも珍しかったですし、全面に押し出していたのも素晴らしかったです。第2回は日本の作曲家の作品が並ぶようで、今回のコンサートを経て、そちらも行こうかなと思っております。それは来月になりますので、こうご期待です!
聴いて来たコンサート
藝大プロジェクト2024「西洋音楽が見た日本」第1回 「ティトゥス・ウコンドン 不屈のキリスト教徒」
ミヒャエル・ハイドン作曲
音楽劇「ティトゥス・ウコンドン 不屈のキリスト教徒」MH141-143
音楽舞台劇「祖国の敬虔」MH.148より「序曲」
「トルコ行進曲」MH.601(布施砂丘彦編)※
ディヴェルティメント ホ長調MH.7より第4楽章「バッロ、プレスト」(布施砂丘彦編)※
※はカーテン・コールに演奏
小泉将臣(ティトゥス・ウコンドン)
山森信太郎(ショーグンサマ)
岡野一平(モロドン)
稲岡良純(イエモンドン)
森永友基(ゴモルドン)
小口準也(ツミコンドン)
松平凌翔(ヤクイン)
市川フー(シャルンガ)
笹川幹太(クシャンガ)
渡邊真砂珠(クララ)
久保田里奈(マルチアル)
大石麻椰(マテウス)
坂部星空(シモン)
伊藤キム(振付・ダンス)
金子美月(ダンスアシスタント)
朝岡聡(司会)
長澤莉佳(管打楽)
布施砂丘彦(構成・演出)
東京藝術大学音楽学部有志合唱(合唱指揮:中山美紀)
東京藝術大学音楽学部古楽科有志オーケストラ
令和6(2024)年10月20日、東京台東、東京藝術大学奏楽堂
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。