家電やガジェットなどの修理部品を販売し、製品の分解の解説並びにオンライン修理ガイドを公開する iFixit で Repair Manifesto が Pluralistic で取り上げられている。
マニフェストの日本語訳(リンク先 PDF ファイル)もあるが、そこにも書かれているように「修理できないなら、所有していることにはなりません」という「修理する権利」の訴えである。
Open Source Hardware Association のブログで、このブログでもおなじみマイケル・ワインバーグが、何かを所有するということは、その使い方を決めることができるという原則を支持する準備書面を連邦控訴裁判所に提出したことを書いているが、これにも iFixit が名前を連ねており、一貫している。
最新の WIRED でも「修理する権利」を支持する文章を見かけたが、これを書いているのはロマ・アグラワルですな。
確かに「Appleがユーザー自身で端末を修理できる「セルフサービス修理」をiPhone 15シリーズとM2 Macに拡大、さらに診断ツールの「Apple Diagnostics for Self Service Repair」もリリース」といった記事を見ると、「修理する権利」に後ろ向きなイメージがあった Apple までもと驚くのが正直なところ。
しかし、「修理する権利」の重要性を考える上で決定版な本を紹介したときも書いたが、デジタル家電の複雑化、サイバーセキュリティ、特許保護など「修理する権利」に反対する理屈はいくつでもあるし、そもそもかつてよりもこうしたガジェットもソフトウェアの比重が高くなり、ハード面の修理でどうにかならない場合も多いだろう。
組み込み機器に Linux が採用されることで、そのファームウェアも自分たちでコントロールできるようになるという夢もかつて語られたが、Linksys ルータなどを対象とする OpenWrt Project といった少数の例外にとどまっている。現実はそう簡単にはいかない。
しかし、これはなぜ我々は電子書籍を「所有」できないのかという話(参考:The Anti-Ownership Ebook Economy - Introduction 日本語訳)にも通じる話で、「修理できないなら、所有していることにはならない」という訴えを再認識するのは意味あることだろう。