嘉島唯さんの文章を読んで、ワタシはある二人のことを思い出した。
一人はブルース・スプリングスティーンである。
この記事のタイトルにもなっている話は重要ではない。重要なのは、この記事の中で出てくる「純粋な恐怖と自己嫌悪」というフレーズである。
スプリングスティーンがこれを最初に明確に語ったのは、この記事の20年前にあたる1992年のことだ。以下は、Rolling Stone 1992年8月6日号に掲載されたインタビューからの引用である。
俺はかなり病的なまでに取りつかれていた。そのおかげですごい集中力とエネルギー、燃えるような情熱が生まれたんだ。なぜならその根にあるのは、純粋な恐怖と、すごい自己嫌悪だったんだから。ステージに上がると、もう止まらなくなってしまう。だから俺のステージは長いのさ。ちゃんとしたアイディアや、これだけ長くしなくちゃいけないっていう計画があるからじゃない。燃え尽きたと感じるまで止まらない。それだけさ。完全に燃え尽きるまでね。おもしろいもんだよ。ステージや音楽の結果がほかの人にとっては前向きなものに思えるかもしれないけど、俺自身にとっては罵倒と同じだった。本質的に、あれは俺にとってのドラッグだったのさ。
スプリングスティーンが音楽への集中を妨げるとそれこそ野球ボールさえ遠ざけていた逸話は知られるが、80年代に『Born in the U.S.A.』のメガヒット後、ハリウッド的な一度目の結婚と離婚、バックバンドのEストリートバンドの解散、そして再婚して子供をもうけるという公的、私的生活の大きな変化を経て、ようやく彼も自分を突き動かしてものと向き合う余裕ができたのだろう。
ここでいう「純粋な恐怖と自己嫌悪」が嘉島唯さんに当てはまるかは、ワタシは彼女のことを何も知らないので分からない。しかし、燃え尽きたと感じるまで止められない、仕事の成果は前向きに見えるが、その作者を突き動かしていたものはそうではないという構図は、実は彼だけに限らないように思うのだ。
そして、もう一人思い出すのは……雨宮まみさんだ。
「不幸でなければ面白いものを作れない」というジンクスのようなものが、この世界にはある。確かにそういうタイプの人もいる。幸せになったとたんにつまらなくなってしまう人。不幸であることを原動力にできる人、ネタにできる人。不幸なものほど共感を得られやすいし、つらい、さみしい、切ない、そういうネガティブな感情のほうが、人の心に寄り添っていきやすい。「不幸な頃のほうが面白かった」。それは、この世でいちばん下品な言葉だと私は思っている。その下品な言葉と戦って勝つために、生きたいと思うことさえある。
WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol12
彼女なら、その「下品な言葉」と戦い、覆すことができるとワタシは当然のように思っていた。しかし、それを見届けることはできなかった。それが今でも悔しい。彼女がこの世を去って、もう少しで四年になる。
生き残って私たちはまた会う。必ず。絶対なんてない人生だけど、約束ぐらいはしたっていいんじゃないか。どんなことでも、生き残っていれば、いずれ、たいしたことのないことに変わっていく。何度でも、追いかけて、深追いして、傷ついて、いずれそんなことをしなくても別の情熱が、健全な情熱が生まれるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。書けなくなるのかもしれない。そのどれが幸せで、そのどれが不幸かなんて、他人に決めさせてやるものか。私が決めることだ。
WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol12
雨宮まみさんのことは、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のボーナストラック「グッドバイ・ルック」の中で書いているが、そのときも上のくだりを引用させてもらった。
少し前にビリー・アイリッシュの新曲 "my future" の最後「数年のうちに会えるよ」と呼びかけているところでこの文章を思い出して、勝手にグッときてしまった。
ビリー・アイリッシュは呼びかける相手と数年のうちに会えるだろう。コロナ禍のせいでますます「絶対なんてない人生だけど」、皆そうであるべきなのだ。でも、そのためには何より生きのびなければならない。生きていさえすればそれでよい、かは分からない。それでも、とにかく生きてないとどうしようもないことくらいは分かる。
嘉島唯さんは生きのびて、優れた文章を書き続けてほしいし、数年のうちに、来年にでも彼女の本を読めればと願っている。お互い生き残って、数年後でもそうした形で会えればよい。