「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ⑥ /「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ⑥(最終)【再掲載 2015.3】 [読書記録 郷土]
今日は1月6日、月曜日です。
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移設先にも同じ記事はありますが、レイアウトの変更はしておりません。
今回は、12月26日に続いて、岩田書院の
「浜松まつり―学際的分析と比較の視点から」の紹介 6回目です。
出版社の案内には、
「5月の連休中、静岡県浜松市は『浜松まつり』一色になる。ラッパの
音とお囃子の音、砂煙の上がる大凧揚げ、夜の街路での提灯の灯りと
練りの声…。その魅力を、日本史・社会学・古典芸能・ヨーロッパ史
の各分野から学際的に分析する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「1909年の『5月の凧揚げ』は4月末~5月初めまで行われた。山場
の5月5日の凧揚げは『見物人黒山のごとく』となり一大イベント
化された」
・「1909年春、ダダ広い鉄工場の空き地となり5月5日の1日のみ」
・「1910年に空地の2/3が市に返還され、凧揚げ会場からの一斉帰還、
市中への凧を担いでの練りが行われた。
『浜松の凧揚げ騒ぎ』になったということができる。」
・「1912年に練兵場を5月3日から5日まで連続で借り受け、イベント
として『底抜け屋台』と、そろいの手拭い・鉢巻き・町旗・町名入
り提灯が登場した。軍隊が『協賛』する公認の祭りとなり抑圧的規
制から統制された競技へと変容した」
もう一つ、再掲載になりますが、飯田稔さんの
「職員室の経営学」⑥を載せます。
この頃報道される地方行政の長の問題、
「校長」を「行政の長」に置き換えて読むことができませんか。
☆「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ⑥
◇第1部 浜松まつりの歴史的検討(5)
(3) 凧揚げ会場と屋台の登場-明治末
1 凧揚げ会場の設置と凧揚げの祭り化第一幕
日露戦争後の不況下歩兵連隊の設置で特異な好景気
→ 1908(明治41)年末~翌年 激しい不景気
①1909年 「5月の凧揚げ」4月末~5月初め
山場の五月5日の凧揚げは「見物人黒山のごとく」
一大イベント化
②ダダ広い鉄工場の空き地
1909年春 工場用地が空き地
5月5日の1日のみ
③凧揚げ後の市中への凧を担いでの練り
凧揚げ会場からの一斉帰還
1910年 用地の2/3が市に返還
◎表現 「浜松の凧揚げ騒ぎ」
2 浜松市制施行 和地山練兵場の使用開始と「底抜け屋台」の登場
1911(明治44)年7月1日
1912年 練兵場を5月3日~5月5日まで連続で借り受けた
5月3日 1万人
5月5日 5万人
イベントとして「底抜け屋台」
そろいの手拭い・鉢巻き・町旗・町名入り提灯
- 軍隊が「協賛」する公認の祭り化
◎抑圧的規制から → 統制された競技に
☆「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ⑥(最終)【再掲載 2015.3】
◇校長の知らぬ間に
卒業生寂しく帰る
学校の都合ばかりが
お礼の品は
◇我が町の近所の人と
家に帰れば
気さくな先生
地域の一員
やはり煩わしいが
教師自身の生涯学習とボランティア活動
◇通じる話と通じにくい話
トップの自覚
[人柄の良さ・清き明けき心 + 勉強・判断力]
緊張の仕方
ポケットマネーの発想
謙虚さ
肩書きがなくても
地金の善さ
◇人間関係の智恵を
人間関係の機微 と 人間関係の知恵
他人のことによく気付く
人格低劣な裸の王様にも‥
プライバシー保護
人を見抜く力を
◇学校の常識と世間の常識
封書の表書きがレポート用紙に?
◇結婚式のスピーチ
新生活か第二の人生か
忌み言葉は避けて
スピーチには予備を
◇リーダー
叱咤と激励を巧く組み合わせること
◇職員会議・校長の権限
職員会議
「荒れる職員会議と沈黙の職員会議」
問われる校長像
校長の学識・常識・見識 → これからは活私奉公
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今回は、12月26日に続いて、岩田書院の
「浜松まつり―学際的分析と比較の視点から」の紹介 6回目です。
出版社の案内には、
「5月の連休中、静岡県浜松市は『浜松まつり』一色になる。ラッパの
音とお囃子の音、砂煙の上がる大凧揚げ、夜の街路での提灯の灯りと
練りの声…。その魅力を、日本史・社会学・古典芸能・ヨーロッパ史
の各分野から学際的に分析する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「1909年の『5月の凧揚げ』は4月末~5月初めまで行われた。山場
の5月5日の凧揚げは『見物人黒山のごとく』となり一大イベント
化された」
・「1909年春、ダダ広い鉄工場の空き地となり5月5日の1日のみ」
・「1910年に空地の2/3が市に返還され、凧揚げ会場からの一斉帰還、
市中への凧を担いでの練りが行われた。
『浜松の凧揚げ騒ぎ』になったということができる。」
・「1912年に練兵場を5月3日から5日まで連続で借り受け、イベント
として『底抜け屋台』と、そろいの手拭い・鉢巻き・町旗・町名入
り提灯が登場した。軍隊が『協賛』する公認の祭りとなり抑圧的規
制から統制された競技へと変容した」
もう一つ、再掲載になりますが、飯田稔さんの
「職員室の経営学」⑥を載せます。
この頃報道される地方行政の長の問題、
「校長」を「行政の長」に置き換えて読むことができませんか。
☆「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ⑥
◇第1部 浜松まつりの歴史的検討(5)
(3) 凧揚げ会場と屋台の登場-明治末
1 凧揚げ会場の設置と凧揚げの祭り化第一幕
日露戦争後の不況下歩兵連隊の設置で特異な好景気
→ 1908(明治41)年末~翌年 激しい不景気
①1909年 「5月の凧揚げ」4月末~5月初め
山場の五月5日の凧揚げは「見物人黒山のごとく」
一大イベント化
②ダダ広い鉄工場の空き地
1909年春 工場用地が空き地
5月5日の1日のみ
③凧揚げ後の市中への凧を担いでの練り
凧揚げ会場からの一斉帰還
1910年 用地の2/3が市に返還
◎表現 「浜松の凧揚げ騒ぎ」
2 浜松市制施行 和地山練兵場の使用開始と「底抜け屋台」の登場
1911(明治44)年7月1日
1912年 練兵場を5月3日~5月5日まで連続で借り受けた
5月3日 1万人
5月5日 5万人
イベントとして「底抜け屋台」
そろいの手拭い・鉢巻き・町旗・町名入り提灯
- 軍隊が「協賛」する公認の祭り化
◎抑圧的規制から → 統制された競技に
☆「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ⑥(最終)【再掲載 2015.3】
◇校長の知らぬ間に
卒業生寂しく帰る
学校の都合ばかりが
お礼の品は
◇我が町の近所の人と
家に帰れば
気さくな先生
地域の一員
やはり煩わしいが
教師自身の生涯学習とボランティア活動
◇通じる話と通じにくい話
トップの自覚
[人柄の良さ・清き明けき心 + 勉強・判断力]
緊張の仕方
ポケットマネーの発想
謙虚さ
肩書きがなくても
地金の善さ
◇人間関係の智恵を
人間関係の機微 と 人間関係の知恵
他人のことによく気付く
人格低劣な裸の王様にも‥
プライバシー保護
人を見抜く力を
◇学校の常識と世間の常識
封書の表書きがレポート用紙に?
◇結婚式のスピーチ
新生活か第二の人生か
忌み言葉は避けて
スピーチには予備を
◇リーダー
叱咤と激励を巧く組み合わせること
◇職員会議・校長の権限
職員会議
「荒れる職員会議と沈黙の職員会議」
問われる校長像
校長の学識・常識・見識 → これからは活私奉公