つれづれ写真コラム 2021年11月

和歌山県の私鉄

和歌山県北部には、大正時代から昭和初期にかけて開業した、路線距離の短いローカル私鉄が、幾つかあった。
廃線になる前に撮影しておこうと、1994年の冬に何度か通った。
今回は、廃線になった有田鉄道と、現存する紀州鉄道の2路線を振り返る。
撮影:1994年1月

有田鉄道
吉備町(現・有田川町)の藤並駅と、金屋口駅を結ぶ5.6Kmの路線だった
1915(大正4)年開業 沿線の特産物ミカン、木材などを積出港まで運搬
1984年2月 貨物輸送終了
1990年代になると、乗客は地元の高校生ばかり
2002年12月 廃止

キハ58  富士急行からの譲渡車両
国鉄のキハ58と同型だが、両運転台なので単行運転ができる
19940105有田鉄道129

19940105有田鉄道128

19940105有田鉄道125

19940105有田鉄道149

DD353  DB20
19940105有田鉄道126

紀州鉄道
御坊市の御坊駅―西御坊駅を結ぶ、わずか2.7Kmの日本一短いローカル線
有田鉄道廃止後は、現存する県内唯一の非電化路線

国鉄紀勢西線(現・JR西日本 紀勢本線)の御坊駅が開業したのが1929(昭和4)年
政争の具となったあげく、駅は街はずれにつくられた
そこで、市街地と御坊駅を結ぶ鉄道が必要になった
これが紀州鉄道の前身、御坊臨港鉄道だ   開業は1931(昭和6)年
現在はレールバスが走るが、かつては古典的なディゼルカーが走っていた

キハ604
1960年製 大分交通耶馬渓線からの譲渡車両
19940107紀州鉄道158

19940106紀州鉄道153

キハ605
かつて常磐炭鉱の専用線で従業員を運んでいた車両
振動が大きく、使われないまま留置線に放置されていた
19940106紀州鉄道152

次回は、「動く博物館」とも言われ“骨董電車”が走っていた野上電鉄です。
大正時代にタイムスリップします。

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天空の城 竹田城

兵庫県北部、但馬(たじま)の国に、竹田城がある。
この山城は、晩秋から初冬の冷え込んだ朝、雲海に包まれた幻想的な姿を見せる。

撮影:2021年11月19日  兵庫県朝来(あさご)市
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竹田城は但馬と、南に接する播磨との国境を守る城として、室町時代の1443年に築城された。
140年後の戦国時代には、羽柴秀吉の但馬攻めによって落城する。
1600年、関ヶ原合戦の直後に廃城となった。
廃城から400年が経った現在でも、石垣は原型を保っている。
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城の撮影の後、朝来市内で、深まりゆく秋を探した。
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<糸井の大カツラ>
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<糸井渓谷>
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<銀山湖>
市内には生野銀山があり、近くにあるダム湖には、「銀山湖」の名が付けられている。
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冬桜咲く

埼玉県北部、群馬県との県境近くにある城峯公園が咲いている。
紅葉とが同時に楽しめる。

撮影:2021年11月14日 埼玉県神川町 城峯公園
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冬に咲くは、山と豆桜が自然交配したもので「冬桜」「十月桜」などと呼ばれている。
ここでは、八重の小振りの花が、晩秋から初冬にかけて咲く。
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春に競って咲くソメイヨシノのように一気に咲くのではなく、密を避けながらポツポツと咲いている。
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合わせて紅葉も撮影できる。
冬桜DSC00103

冬桜DSC00060

<おまけ>
御荷鉾(みかぼ)スーパー林道から眺めた上州の山々  群馬県神流町
御荷鉾DSC00012

蛇喰(じゃばみ)渓谷   群馬県藤岡市
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COP26「石炭火力削減」で決着

2021年11月15日
英国で開かれていたCOP26(国連気候変動枠組条約 第26回締約国会議)が終了した。議長国の英国は、温室効果ガスを大量に排出する石炭火力発電を2030年までに廃止する方向でまとめる腹積もりだった。しかし土壇場になって石炭火力に頼っている中国やインドの反対で、廃止ではなく、「削減する」との表現で決着した。後退したと嘆く国もある。

多くの科学者が、「地球温暖化の原因となっている二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を減らさなければならない」と発信している。
しかし各国の利害や思惑が交錯しているので、まとまらない。
CO2排出量を削減しなければならない一方、ここ最近の原油高の影響で経済が行き詰まり、
「石油の生産量を増やせ」と言う声が高まっている。
これではCO2は増える。人類は、自分たちの住む地球を、どうしたいのか? 
全く意味が分らない。
環境を考える人と、経済を優先する人の言い分が、正反対だ。

1970年代のオイルショックの当時は、「石油はあと10年で枯渇する」と騒がれた。
1980年代になると、「あと40年で無くなる」と言われ、その後もずっと、石油の寿命は「あと40年」が続いている。
1980年から数えて40年が経過した現在は、CO2の排出量では大騒ぎしているが、石油が無くなる事を心配している人はいない。

つまり環境問題は、騒ぎを起こす事でメリットがある人の“大声”に左右されているのだ。

ところで日本の石炭は、地下深くから掘り出し、現在ではほとんど掘り尽くしてしまった。
中国では、露天掘りが行われていた。
中国内陸部、有数の石炭産地として知られる山西省の太原(たいげん)で、大規模な露天掘りを撮影した事がある。

撮影:1992年10月  中国 山西省
19921000山西省291

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巨大な運搬用トラックが豆粒の様に見える。
質の良い石炭は、鉄道で大連の港に運び、日本などに輸出している。
山西省内では質の悪い石炭をトラックで運び、レストランや住宅の前にそのまま置いている。
これを土間にあるカマドで燃やして調理する。
強い火力は得られるが、調理場はかなり煙たかった。
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大気中のCO2濃度の上昇を本当に抑えたかったら、化石燃料の生産を止めれば良いのだ。
簡単な事だ。
生産量を10%減らせば、CO2排出量も10%減る。
100%減らせば、人間活動によるCO2排出はほとんど無くなる。
でも人類は電気が無い、電車や車が無い、寒さや暑さにはひたすら耐える生活は、もう出来ない。
一度、豊かさを味わってしまうと、逆戻りは出来ない。
だったら石油も石炭も、いつの日か使い切ってしまうだろう。
仮に、100年先に無くなってしまう石油の寿命を、節約して200年先にまで伸ばしても、結果に大きな違いは無い。

環境問題は、言葉をうまく取りまとめて、宣言を出しただけでは解決しない。


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懐かしの 妻沼線

かつて、埼玉県熊谷市の熊谷駅と、妻沼(めぬま)駅を結ぶ、わずか10Km程の妻沼線があった。
正式名称は「東武鉄道 熊谷線」だが、地元の人は、「妻沼線」の愛称で呼んでいた。
廃線となった1983(昭和58)年5月31日までの、約1年半を記録した。
19830501妻沼線195修正済
妻沼線は太平洋戦争の最中、群馬県太田市にある飛行機工場(現・スバル)までの人員や資材の運搬を目的に計画された。
第一期工事として、1943(昭和18)年に熊谷―妻沼間が開通する。
19820221妻沼線070修正済

19820926妻沼線146修正済
第二期工事は、埼玉・群馬県境の利根川への架橋であったが、橋脚の建設途中に終戦を迎えた。
19820228妻沼線111修正済

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戦後は地元の人の足として、1時間に1本程度、ディーゼルカーがコトコトと走っていた。
車両は、この路線のために製造した3両のキハ2000。
通常は1両編成だが、朝・夕は2両連結で運転していた。
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19830327妻沼線175修正済

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”特急 カメ号”と呼ばれて愛されてきたが、赤字が続く上、東武鉄道で唯一のディーゼルカー路線のため、車両の保守・点検が難しくなって、廃線に追い込まれた。
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19830403妻沼線181修正済
太平洋戦争の敗戦が濃厚になった頃、第二期工事が始まった。
妻沼駅から利根川に向かって築堤がつくられたが、完成する事は無かった。
それから40年たった後まで、準備されたレールが放置されていた。
19820505妻沼線118修正済

19820505妻沼線125修正済

19820505妻沼線081修正済

19820505妻沼線122修正済

ラストラン  運行最終日 1983(昭和58)年5月31日
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この日の車内は最終列車まで、地元の人や、廃線を惜しむファンでいっぱいだった。

11月10日~15日まで、埼玉県熊谷市の八木橋百貨店で、写真仲間と共催で写真展を開催します。
私は妻沼線の写真を出展します。
お近くの方、可能でしたら足をお運び下さい。
ハガキ279
ハガキ280

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tag : 妻沼線東武熊谷線鉄道廃線

秋色に染まる 裏磐梯

裏磐梯は、福島県を代表する磐梯山北麓の、標高800mの高原です。
磐梯山は1888(明治21)年、山頂北側の水蒸気爆発によって山体崩壊を起こします。
その時に流れた岩が川をせき止め、大小、数百の湖や沼が点在するのが裏磐梯です。

神秘的な水面に、秋の彩りが写り込んでいました。

撮影:2021年10月31日   福島県北塩原村

中瀬沼と磐梯山
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レンゲ沼
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曽原湖
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中津川渓谷
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秋元湖と磐梯山
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プロフィール

乙山 真

Author:乙山 真
埼玉県出身
中学生のころ写真を始める
民放のテレビ局でディレクター、記者、ニュースデスク、プロデューサーなどを経験
退職後は写真三昧の生活

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