もともと、町田市は少年サッカーの盛んな街です。1970年代から強化を始め、これまで約40名の選手を
Jリーガーとして輩出し、ジュニア・ジュニアユース年代では全国でも有数の成績を収めて来ました。FC町田ゼルビアは、「サッカーの街・町田を代表するサッカークラブを作る」という考えのもと、1989年に誕生しました。
町田の名を再び全国に届かせるため、ゼルビアを通じて町田を元気にするため、活動を続けています。
クラブ理念
- VISION01町田市民が誇れるクラブであること
- VISION02地域の発展に貢献できるクラブであること
- VISION03次代を担う子どもたちの健全な育成と夢の創造に貢献するクラブであること
ゼルビアの特徴
町田出身のJリーガー(一部)
北澤 豪(元日本代表)
林 健太郎(元日本代表)
福永 泰(元日本代表)
山田 卓也(元日本代表)
山口 貴之(U-23日本代表)
戸田 和幸(2002年W杯 日本代表)
田中 裕介(元U-23日本代表)
太田 宏介(FC町田Jrユース出身、元日本代表)
小林 悠(元日本代表)
ゼルビアの始まりは1977年。町田サッカー協会に所属する小学生たちを選抜して結成したFC町田トレーニングセンターの設立でした。
その後、子どもたちの成長に併せて、中学生年代がプレーするジュニアユース、高校生年代がプレーするユースと、一つずつ下から上にクラブの強化のピラミッドを築き上げていきました。そして、1989年に、年齢制限のない社会人がプレーするFC町田トップチームが誕生し、FC町田のピラミッドは完成しました。
頂点であるトップチームだけでなく、裾野であるジュニアまでのピラミッドを作ること。これは、Jリーグが加盟する各クラブに求める理念でもあります。ゼルビアにとって、まだJリーグが開幕する前の1989年に、すでにこのピラミッドをすでに完成させていたことは、クラブにとって大きな誇りとなっています。また、Jリーグに加盟する他の多くのクラブは、まずトップチームを作り徐々に裾野へ拡げていったことに比べ、ゼルビアは、裾野から頂点へ向けて市民の力で自然発生的にクラブを作り上げていったことは、ゼルビアにとって誇るべきアイデンティティとなっています。
チーム&企業プロフィール
クラブ名 | FC町田ゼルビア |
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会社名 | 株式会社ゼルビア |
代表取締役 | 代表取締役社長兼CEO 藤田晋 |
クラブ名の由来 | 愛称のゼルビアは町田市の樹であるケヤキの英語名のZELKOVA(ゼルコヴァ)と、町田市の花であるSALVIA(サルビア)を合わせた造語。 1996年にFC町田に愛称を付けて「FC町田ゼルビア」とし、97年から登録名として正式採用した。 |
所在地 | 〒195-0055 東京都町田市三輪緑山1-1 FC町田ゼルビアクラブハウス |
創立 | 1989年 |
主な事業 | プロサッカー試合の開催・運営 サッカースクール及びサッカー普及活動の企画・運営 オリジナルグッズの制作・販売など地域総合スポーツクラブとして、様々なスポーツの機会を提供する |
ホームスタジアム | 町田GIONスタジアム(町田市立陸上競技場) スタジアムページへ |
主なクラブ優勝歴 |
リーグ戦 その他大会 |
エンブレム&ロゴ
エンブレム
ZELVIAの「Z」とMACHIDAの「M」がモチーフ。真ん中の3本ラインは、「市民」「行政」「チーム」の三位一体というクラブの基本姿勢を表現している。
ロゴマーク
マークの真ん中には町田市の地形を配置し、ゼルビアの町田への想いを表現した。色はチームカラーのブルーを基調に、金色は「PRIDE=町田の誇り」の想いを込めた。
マスコット
ゼルビー
町田市の鳥であるカワセミがモチーフ。ホームスタジアム・町田市立陸上競技場がある野津田公園内に住んでいる。
流行りのゆるキャラではなく、イケメンキャラを自負している。
名前 | ZELVY(ゼルビー) |
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年齢 | 永遠の12歳(鳥年齢は成鳥です) |
出身地 | 大地沢(町田市相原町草戸山) |
住んでいる所 | 野津田公園 |
性別 / 血液型 | オス / Z型 |
ポジション | MPB(町田のPR部長) |
性格 | クール(に見えるが子どもが大好き) |
趣味 | 新しいことにチャレンジすること 町田市のPR |
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得意なプレー | 親指を立てる |
ライバル | 自分自身 |
嫌なこと | あきらめること |
好きなテレビ番組 | ABEMA全般(特にゼルつく) |
将来の夢 | ゼルビアがクラブワールドカップで優勝すること |
ユニフォーム
フィールドプレーヤー 1st
フィールドプレーヤー 2nd
ゴールキーパー 1st
ゴールキーパー 2nd