特集
国内外の温泉地を訪ね歩く 温泉評論家 石川理夫氏執筆による湯河原温泉【いい湯のはなし】をご紹介します!
湯河原の泉質の良さ
温泉地の宿や温泉施設の浴室には温泉の掲示証あるいは温泉分析書(写し)が掲げられています。そこに「単純温泉」「ナトリウムー塩化物泉」や「食塩泉」といったように新旧の泉質名が表示されています。泉質を知れば、温泉の効能だけでなく湯の持ち味・特色もつかめるので、温泉への期待、楽しみがいっそう増すでしょう。
ところで温泉にはすべて泉質名が付くと思っていませんか。じつはそうとはかぎりません。
温泉は温泉法という法律に定められています。温泉法が温泉と認める条件は温度と物質の二種類あり、どちらかの条件を1つでも満たしていれば「温泉」と認められます。
第一の温度の条件は、地上に湧き出た泉温が「摂氏25度以上」あればOK。第二の物質の条件は、19種類の物質について温泉水(1キログラム中)にそれぞれ定めた総量以上どれか一つでも含まれていること。
こうして条件をクリアして認められた温泉の中でも泉質名が付くのは、温度条件は変わりませんが、物質条件のほうではさらにハードルを高くして、「特に治療の目的に供し得るもの」として定義した療養泉のみ。こうした療養泉に含まれる化学成分にもとづいて分類され、それぞれの泉質名が付けられるのです。
湯河原の泉質は5種類も!
湯河原温泉には109本(2008年度)もの源泉があり、すべて泉質名の付く療養泉。しかも大きく分類した掲示用の新泉質名で3種類あり、温泉に含まれる主成分と副成分の組み合わせでより細かく表示した泉質名では5種類もあげられます(神奈川県温泉地学研究所調べ、2009年)。
掲示用の新泉質名でいうと、湯河原の泉質は大きく分けて塩化物泉、単純温泉、硫酸塩泉の3種類。源泉の持ち味・特色や効能をつかみやすくてより具体的な泉質名では、数の多い順に次の5種類の泉質がそろっています。
(1)含石膏ー(弱)食塩泉(ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉)
(2)単純温泉。アルカリ性単純温泉を含む
(3)含食塩ー石膏泉(カルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物泉)
(4)含土類ー食塩泉(ナトリウム・カルシウムー塩化物泉)
(5)石膏泉(カルシウムー硫酸塩泉)
以上5種類のうち、最も数が多くて湯河原温泉の主泉質にあたる(1)の含石膏ー(弱)食塩泉が全源泉の半数近くを占めます。次に多い(2)の単純温泉を併せると、全体の7~8割に及びます。大きな分け方の掲示用新泉質名でいうと(1)と(4)が塩化物泉、(2)が単純温泉、(3)と(5)は硫酸塩泉に含まれます。
いちばん多い(1)の含石膏ー(弱)食塩泉と、三番目に多い(3)の含食塩ー石膏泉及び(5)の石膏泉は塩化物泉と硫酸塩泉に分かれていますが、ある共通点に気づきませんか?そう、どれにも石膏成分(カルシウムー硫酸塩)が含まれています。これが名湯の誉れ高い湯河原温泉のカギとなる成分です。
よく温まり鎮静効果のある泉質
主泉質の含石膏-弱食塩泉は、塩分を主成分とする食塩泉(ナトリウム-塩化物泉)に、二番目に多い副成分の石膏成分(カルシウム-硫酸塩)による石膏泉的な要素を兼ね備えています。
つまり温泉の特色、良さがダブルになっています。
一般に温泉入浴すると、含まれる成分、とくに新鮮な源泉にイオン状態で溶けている成分が皮膚から体内へ浸透します。飲泉や吸入を含めて皮膚や体内に入った有効成分は微量でもさまざまな働きをすることがわかっています。
湯河原温泉の主泉質でも主となる食塩泉は、からだの芯までよく温め、しかも冷めにくい効果があります。近年あらためてからだを温める大切さが指摘されていますが、温泉入浴は温熱効果を発揮します。なかでも食塩泉は温熱効果とそれを持続させる保温効果に優れています。それに湯河原温泉は含まれる塩分の量もほどほどの弱食塩泉なので、刺激が少なく肌触りのいい湯です。
そこに副成分の石膏成分(カルシウム-硫酸塩)が加わって持ち味を発揮します。石膏泉(カルシウム-硫酸塩泉)はよく「傷の湯」と称えられ、打ち身や傷、手術後の回復が早いことで知られていました。
湯河原温泉も昔から「傷の湯」の評判が高く、江戸時代の史料に「湯の効能は・・・総じて身の傷みにはとくに能く」と記されたほど。明治時代の日清・日露戦争の際、湯河原温泉は負傷者のための療養地に選ばれました。
このように石膏成分中のカルシウムイオンには鎮静効果があるようで、心身共に安らぎます。
さらに女性の方に朗報なのは、石膏成分は肌を柔軟になめらかにし、含まれる硫酸イオンが皮膚の真皮の弾力線維を強化してしわを防ぐなど、美肌効果も期待できることです。
湯量豊富な高温泉の恵み
湯河原温泉で二番目に多い泉質の単純温泉は、泉温25度以上で、ガス成分を覗く溶存物質の量が温泉水1キログラム中1グラムに満たない温泉のこと。含有量はおおくなくてもまんべんなく有効成分を含み、名湯が少なくありません。
そのうち、pH(ペーハー)8.5以上のアルカリ性を示すのがアルカリ性単純温泉。皮膚の古い角質を落とす石けん効果があり、湯に入ると肌がつるつるすべすべします。湯河原では主泉質の含石膏-弱食塩泉にもアルカリ性の温泉が多く、美肌効果もいっそう増します。
湯河原温泉は湧出量も豊富で、温泉の特色や効能をよく味わえます。
また、最高80度以上あるなど高温泉に恵まれています。源泉が集中する温泉場地区周辺には湯けむり上る温泉井やぐらが見られます。温泉力みなぎる湯河原の湯の良さを再発見して下さい。
一三〇〇年の歴史が息づく湯河原温泉
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温泉街の中心にある「万葉公園」
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江戸時代に起源をもつ「湯かけまつり」
「万葉集」に詠われた関東一の古湯
今から約一三〇〇年前。平城京を都とした奈良時代半ばに編さんされた「万葉集」は、古代に生きた人々の思いを和歌をつうじていまに伝えてくれます。「万葉集」には「日本三古湯」と称される愛媛県道後温泉、兵庫県有馬温泉、和歌山県南紀白浜温泉と九州太宰府に近い福岡県二日市温泉など選りぬきの古湯だけが登場しますが、東日本の温泉で唯一詠まれたのが湯河原温泉です。
「足柄の土肥(どひ)の河内(かふち)に出づる湯の 世にもたのらに 子(こ)ろが言はなくに」
この歌は相模国など東国の歌を集めた巻十四に収められています。
土肥は湯河原一帯の古名。当地の豪族・土肥氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝の挙兵を助けました。藤木川・千歳川が刻む湯河原の渓谷に湧き出てゆらぐ湯の様を恋人の揺れ動く気持ちにたとえた恋歌によって湯河原温泉が世にデビューしたなんて、すてきではありませんか。
奇しくも奈良時代半ばは、箱根では湯本温泉の開湯縁起で温泉が開かれたとされる時代に当たります。
ただ、縁起は後世につくられたものなので、ここは確かな古典の「万葉集」にすでに温泉が湧いている姿が詠われている湯河原温泉が、文献上も関東(以北)で最も歴史の古い温泉と言えます。
「こごめの湯」「小梅の湯」と呼ばれる
中世に湯河原温泉は、土肥氏ら武士や村人の湯治場として利用されていました。とくに戦による負傷や近在の石工がけがをしたとき、傷の治りが早い湯河原温泉は大きな救いでした。湯河原温泉へ当時に来た鎌倉鶴岡八幡宮の関係者の手紙に「東土肥こごめの湯へ湯治致す」とあるように、湯治は「こごめ(み)の湯」「小梅の湯」と呼ばれていたようです。
江戸時代、1651(慶安4)年9月に小田原藩主稲葉正則公が湯河原温泉に入湯したことが、藩の日記「永代日記」に記されています。これは湯河原温泉についての江戸時代最初の記録です。後に幕府の老中も兼任した正則公は藩主在位50年。生来病弱だったという公が長寿を保てたのは温泉効果が後押ししたかもしれません。
「永代日記」は湯河原温泉を「小梅(梅の誤記)之湯」と記し、河原に湧き出る泉源=湯元に造った入浴用の湯坪=浴槽として「本(もと)湯」があったことを記録しています。
江戸の温泉番付三役に
約20年後の1672(漢文12)年、温泉が湧いていた地域は宮上村となり、村明細帳に「湯ヶ川原」の地名が初めて登場します。以後、湯河原温泉と呼ばれるようになりました。
湯河原温泉は河原から自然湧出していたので、大水が出るたび泉源が移り、それまで三カ所あった共同湯坪は流され、この頃は一つ(先の本湯か)だけでした。その共同湯坪を「村湯」と呼び、村人の共同財産とみなしていました。温泉は天与の恵み。こうしてみんなで大切に育むものなのですね。
温泉旅行が普及した江戸時代には相撲番付にならい、全国の温泉地を東西に分けて格付けした温泉番付「諸国温泉効能鑑」がつくられます。湯河原温泉は東の温泉地ベスト3にランクされる三役(小結)の座を守りました。
名湯の誉れ高く
江戸後期の1842(天保12)年に完成した相模国の地誌「新編相模国風土記稿」の湯河原温泉図には共同湯坪が3カ所描かれています。なかでも石垣を築いた「下ノ湯」が村湯にあたり、「惣湯(そうゆ)」とも呼ばれていたようです。惣湯は温泉地全体で管理、利用し合った共同湯の歴史的な名称で、とても意義深い存在です。湯河原では明治時代以降もこれを「一村共有温泉」として地域で守ってきました。
「傷の湯」で知られた湯河原温泉は日清・日露戦争の際に傷病兵の療養地に指定され、名湯の評判は全国に広まります。首都から近く、著名な政治家、東郷平八郎元帥など将軍、文人墨客が多数訪れ、湯河原温泉は多くの文学作品に取り上げられました。湯河原を愛した文人の中で、小説「湯河原より」を書いた国木田独歩は明治34年~40年に足繁く来訪。夏目漱石は大正4~5年にかけて保養に訪れ、最後の小説「明暗」の舞台にしています。
大勢の人が訪れて温泉街が発展する湯河原温泉は温泉の堀削開発を行う一方で、温泉資源の保護に早くから取り組みました。湯河原町が温泉供給システムを管理しているのもその一つです。1300年の歴史と名湯の誉れ。それは町や地元を挙げての努力によって支えられています。
◆入浴前にたっぷりかけ湯
入浴前のかけ湯には二つ意味があります。一つは、十分かけ湯をして体を湯に慣らし、入浴による温熱刺激で生じる血圧の急上昇をおさえること。
もう一つは、体の汚れをよく落として、浴槽の湯の汚れを減らすこと。浴槽の湯が汚れて塩素剤等注入が増えるのは避けたいですよね。かけ湯では足元から順に上へ。お尻など腰まわりはよく洗って下さい。
◆入浴の回数と時間
温泉でも多くの浴槽は通常42度に適温調整していますが、からだにはやはり熱め。
せっかく温泉に入るのだからと何度も、また長湯すると、のぼせたり湯疲れします。宿について少し休んで夕食前、夕食後しばらく経ってから、朝食前に短く、の一日3回が限度。飲酒後は避け、ぬる湯の温泉でないぎり長湯は控えましょう。
◆浴後は休憩と水分補給を
ヨーロッパの温泉保養地では源泉入浴後全身をバスローブですぐに包み、休憩を勧められます。湯冷めを防ぎ、血圧が低下している浴後は横になって休むのが望ましいのと、温泉成分がじっくり皮膚から浸透するのを促すためです。
また、入浴すると発汗が促され、血液の粘度も上昇していますので、しっかり水分補給してください。
こうして心身をリフレッシュさせ、温泉効果を堪能しましょう。
<執筆者紹介>
石川理夫(いしかわみちお)
温泉評論家・日本温泉地域学会副会長
温泉の歴史・文化、共同湯研究が専門。国内外の温泉地を訪ね歩き、公演活動やさまざまなメディアで活躍中。
著書は「温泉巡礼」(PHP研究所)、「温泉法則」(集英社新書)、「温泉で、なぜ人は気持ちよくなるのか」(講談社プラスα新書)、「日本温泉地域資産」(共著、日本温泉地域学会編)他多数。