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[大橋美加さん]父・巨泉と母・マーサに感謝

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ジャズが距離縮めた

 ジャズシンガーの大橋美加さん(58)は、昨年亡くなったタレントの大橋巨泉さんの長女です。現在は、母でジャズシンガーのマーサ三宅さん(84)のリハビリを手伝っています。4歳のときに両親が別居し、その後、離婚しました。つらい思いもしましたが、「介護を通して2人へのわだかまりは消えました」と話します。

[大橋美加さん]父・巨泉と母・マーサに感謝

「リハビリの際には、ボタンやサクラのきれいな所などに連れて行きます」(東京都内で)=米田育広撮影

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マーサさん(右)と一緒に初めてアルバムの収録をする美加さん(2016年4月撮影)

 4年前の夜、近くに住む母から電話がありました。「痛くて死にそう。いい医者を紹介して」と訴えるのです。寝汗を拭こうと立ち上がったところ、バランスを崩して転倒してしまったそうです。腰椎圧迫骨折でした。

 それまでは元気でしたが、歩くことができなくなり、リハビリの日々が始まりました。

  マーサさんは女性ジャズシンガーの草分け的存在。1956年にジャズの評論などをしていた巨泉さんと結婚した。2人の娘をもうけたが、67年に離婚。マーサさんが2人を引き取った。

 母が歌で家計を支え、祖母が母代わりでした。小さい頃は、一緒に暮らしていない父のことでよくからかわれました。両親がそろった、いわゆる「普通の家庭」が羨ましく、思春期には母とも何となく距離ができてしまいました。

 骨折した母の看病をしていたとき、母は私の手を取って、「あんたがこんなに面倒を見てくれるとは思わなかった」と泣きました。親子の縁は一生切れません。母に頼られた以上、とことん面倒を見ようと決心しました。

 母は元来がペシミスト(悲観論者)。歩けなくなり、自暴自棄になっていました。「歩かないと筋力が落ちるよ」と促しても、「寝れば治る」などと言うことを聞きません。だから私も、時にきつい言葉を浴びせ、「鬼娘」になります。それができるのは、私だけだからです。

 私と夫は、仕事の合間に時間調整し、週2回、必ず母に歩行訓練をさせることにしました。ブレーキ付きの歩行車を使うと、自分のペースで歩けるようになりました。母とはいろいろありましたが、今が一番幸せです。

  マーサさんがリハビリに励んでいるころ、がんを患っていた巨泉さんの病状は悪化していった。昨年7月、82歳で亡くなった。

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美加さんのラジオ番組にゲスト出演した巨泉さん(右)(2015年5月撮影)

 離婚の原因は、父の浮気です。母は最後まで父を許しませんでした。

 私は10歳の時に父と再会し、それ以来、時々会ってきました。ジャズという共通の話題が、2人の距離を縮めてくれました。しかし、再婚相手の寿々子さんに遠慮があり、父に甘えることができませんでした。

 父の晩年は、寿々子さんが看病していました。私は週1回程度、お見舞いをしていただけですが、一生のうちで一番、父と触れあうことができた期間でした。

 父は100歳まで生きると豪語していましたし、私もかなうと信じていました。2014年には傘寿をお祝いし、15年には私がDJを務めているラジオ番組の10周年イベントにも出演してくれました。

 長年、海外と日本を行き来していた父ですので、まだどこかで生きていて、帰ってくるような気がします。

  昨年9月に発表した13枚目のアルバム「HOME」では、マーサさんをゲストに迎えた。ディスク上で初の親子共演を果たした。

 母は、歌があれば生きていける人です。だからマイクを持たせれば、もっと元気が出ると考えたのです。3曲歌ってくれ、本人も前向きになったようです。これからも機会があれば、マイクを持たせようと思っています。

 父との別れと母の介護を経験し、今改めて、2人がいてくれたから、今の自分があると感じています。そして母には、父の分まで長生きしてほしいと思っています。

 私と同世代には、親の介護に追われている人が少なくありません。しかし、その苦労や悩みを打ち明けられない人もいます。介護は大変ですが、親への感謝を伝えたり、親との関係を確認できたりすることもあります。だからこそ、父と母や、介護について積極的に発信していきたいと思っています。(聞き手・斉藤保)

  おおはし・みか  1959年、東京都生まれ。短大在学中にスカウトされ、ジャズシンガーとしてデビュー。コンサート活動の傍ら、後進の指導にもあたる。ラジオのDJやシネマエッセイストとしても活躍する。6月に初の自叙伝「父・巨泉」を出版した。

  ◎取材を終えて  「父とは最後に一番触れあうことができた」「母とは今が一番幸せ」と話す美加さん。2人との関係に悩んだ末にたどり着いたという現在の心境が、特に印象に残った。マーサさんの介護は、夫で芸能事務所代表の大谷忠司さんと二人三脚で行っている。「私だけではとても無理」と夫に感謝する。いたわり、助け合う夫婦関係があってこそ、美加さんは両親ともよい関係を築くことができたんだと感じた。

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