脳内お花畑を実現するために

脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

まだ逃げ出すに足る「勇気」は持ち得ていない 『会社から逃げる勇気-デンソーと農園経営から得た教訓-』読後感

 

 

休職生活もそろそろ2年半を迎えようとしているが、ココロの状況は一向に上向かない。少なくとも会社に復帰しようという気は全く起こってこない。自分の中ではすでに会社に対しては絶望しており、文筆一本で食っていこうという気持ちは固まっているのだが、まだ会社からの収入なしに生きていく自信がない。今のままの状況では、せっかく手に入れた快適な環境を手放して、しまいには飢え死にするような悲惨な未来しか思い描けないのだ。まあ、こんな風に最悪の事態まで勝手に拡大解釈してしまうところがうつ病うつ病たる所以ではあるのだが。

 

そんなわけで、最近はKindleの書籍検索でも、ついつい「退職後の生活」とか「会社を辞めてどうやって暮らすか」みたいなワードを打ち込んで具体的な方法が書いてある本を探してしまうことが多い。標題の書もそんな後ろ向きの検索で発見して衝動DLしたもの。日本が誇るトヨタ自動車系列の自動車部品製造会社デンソーで、経営の根幹に関わる仕事に携わったのちに、そのノウハウを存分に活かしてブルーベリー農園経営に乗り出し、順調な経営を続けている畦柳茂樹氏が著した一冊だ。

 

畦柳氏がデンソー内でどのような仕事をし、そしてどのような環境下でデンソー内での立場に行き詰まりを感じたか、自分で起業することをなぜ選んだか、から始まり、ブルーベリー農園を選択した理由、「ブルーベリー観光農園」の現状と将来性、具体的な経営方法のさわりまで簡潔な文章でまとめられており、今までに農業への転身など考えたことのない私ですら、その可能性に賭けてみてもいいような気持ちにさせられた一冊ではある。農園のみならず、起業を考えている方には大いに参考となる内容であると思う。内容についてはぜひ本文を当たっていただきたい。

 

私にとって最も参考になったのは、自分の好きなことで飯を食っていくということに対しての具体的な準備だ。今のところ、私の準備は手当たり次第いろんなクライアントに応募することくらいなのだが、クライアントに魅力を感じさせるためにはどんな履歴書を送れば良いのか、については再考の余地は大いにある。それとともに、棚上げになったままの創作にも本格的に取り組むという気持ちをしっかり持たなければならないだろう。何しろ、自分の好きな道で生きていくと決めるなら、その好きなことに本気で取り組む覚悟が必要。それこそが第一歩であり、最も重要なことだ。あとは、覚悟を持って、理想の状態と現状とのギャップを埋めるべく努力していくこと。このギャップを埋めていくという行為は会社員であれ、自営業であれ、自分自身の向上のためには欠かすことのできない営みだ。

 

農園経営に乗り出す気はさらさらないが、文筆業というものに「本当の本気」で向き合っているのか否かを自分自身に問い直す契機にはなった。折しも、6月末までの休職延長の診断書が出たばかり。当面6月までに自分自身に対しての問いかけを続けていこうと考えている。

 

スッキリすぎる仕上がりがちょっと残念だった一作 『仕掛人・藤枝梅安』(2023年版・第一作)鑑賞記

baian-movie.com

 

私は必殺シリーズのファンだ。本格的にハマったのは、飾り職の秀、三味線屋の勇次という人気者を輩出した『新・必殺仕事人』からで、語り口がマイルドになった、いわゆる「後期必殺」をリアルタイムで観て育った。で、後にビデオデッキを手に入れてから、「前期必殺」やら、テレビドラマ最初の作品「必殺仕掛人」も観た。池波正太郎作の原作も何度か読み返した。

 

というわけで、それなりに「仕掛人」の世界観を理解し、自分なりのイメージを持って鑑賞したのが標題の作。主人公梅安に豊川悦司、相棒の彦次郎に片岡愛之助というイケメン二人を揃えた「必殺映画」の最新作とあって、AmazonPrimeにラインアップされたのを即鑑賞した。

 

トヨエツの梅安、ラブリンの彦次郎ともにややカッコよすぎ。特にトヨエツさんの坊主頭は残念ながら似合っていない。殺しのシーンも静かすぎて盛り上がりに欠けたように私には感じられた。まあ、これは私が必殺シリーズの各作品を観すぎたせいで、「こういうシーンにはこのBGM」みたいな変な公式が出来上がっていたからかもしれない。ウエスタンのシーンを彷彿とさせるBGMが流れて、梅安が凄みを効かせた表情で仕掛けるってのが私にとっての「公式」で、その「公式」から外れてしまうと、なんとなく違和感を感じてしまう。この作品はBGMをあまり使わず、スローな映像を駆使して迫力を出す、という方法を講じていたが、私の変な「公式」を外して考えてみればそれなりに効果的な描き方ではあったと思う。

 

一番の失敗は、この作品の最大の敵、おみのを演じた天海祐希が絶望的にキレイすぎたこと。このおみのというキャラは実は藤枝梅安の生き別れた妹お吉。圧倒的な色気で男を虜にし、財産を奪ってしまうという典型的な「悪女」なのだが、正直、ソソラれない。男を引き込んでしまう妖しさに欠けてしまうのだ。実に折り目正しい、猛々しい女という印象。大きな料理屋の女房に収まるために、前の女房を梅安に仕掛けさせるという因縁もあるのだが、亭主である料理屋の主人を罵倒するシーンなど、悪女というよりは、女性上司による部下へのパワハラにしか見えなかった。流石に何年も「理想の上司」一位を獲得するだけのお方だ(笑)。良くも悪くも、ある意味清潔感のある人物に演じさせるのは適当でなかったように私は思う。とはいえ、じゃ、そういう悪女役に相応しい、それなりの格の女優って誰がいるの?と言われてしまうと、にわかには浮かんでこないんだけど。梅安の愛人おもん役を演じた菅野美穂の方が、まだよかったかな、とは思う。

 

この作品には第二作もあるらしい。とりあえず、AmazonPrimeで公開された即鑑賞しようとは思う。

 

どうせなら過去の「名作」をコント仕立てにしたらどうなるのかを観てみたい 『Broken Rage』鑑賞記

 

 

本日2月14日にAmazonPrimeで配信となったのを即観した作品。北野武監督作で『〜レイジ』とくれば、「全員悪人」のキャッチコピーでおなじみの『アウトレイジ』からの連想で、どうしても暴力シーン満載のバイオレンス作品を想像してしまう。で、出だしは予想通りのバイオレンス作品。主人公は「ねずみ」という名の殺し屋。感情表現を極端に抑えた、静かな映像で、職業として淡々を人を殺すプロフェッショナルを描き出している。まあ、ある意味「北野作品」に一番求められているエッセンス満載の流れが続く。

 

そして一旦ストーリーが完結した後、「Spin Off」という表示が画面に出、一気に作品の雰囲気が変わる。シリアスな俳優の北野武としてではなく、芸人ビートたけし演じるねずみが、お約束のボケをかましまくるのだ。そういえば、前半部分でも、「ここで、いつものグラスを目にぶつけるギャグやったらウケるよな」とか「ここでネズミ田チューです、とか名乗ったら大笑いだな」ってシーンは多々あった。芸人ビートたけしというキャラクターに引っ張られて、シリアスなシーンなのに、ついついこれを笑いに変えるにはどうしたらいいのか?を考えてしまう観客に対して、「オラオラ、こういうボケ求めてたんだろ、この野郎」とでも言わんばかりに、てんこ盛りのギャグをぶつけてくるのだ。

 

こういうパロディコントは往年の『オレたちひょうきん族』でよくやっていた。そういう意味では芸人ビートたけしの一つの原点に回帰した作品ではあった。でもどうせパロディーをやるなら、こんな短い作品ではなく、誰もが知っているような「名作」に徹頭徹尾ギャグを放り込むような作品を観てみたい。著作権の問題とか、制作費の問題とか、今のご時世に合わないギャグとか、それこそいろんな大人の事情はあるんだろうけど、どうせなら、もっと長いパロディーオンリーの作品を観たい。北野武氏もすっかり老けてしまっていて、身体を張って笑いを取れる時間はもう残りわずかだろうから、少しでも身体が動くうちに、パロディー超大作に取り組んでいただきたい。

 

ちょっとググって調べてみたら、今作は「バイオレンス作品における笑い」をテーマにした実験的な作品らしい。この「実験」で得た知見をぜひ次回作に活かして大笑いできる作品を作っていただきたいものだ。

 

 

実は「イヤミスの女王」の処女出版作品とは知らなかった 『カンタベリー・テイルズ』読後感

 

久々に読んだ「紙」の本。書斎の本棚の最前面に並んでいたのをふと手に取って一気読みした一冊。

 

著者真梨幸子氏との出会いは『殺人鬼フジコの衝動』を衝動買いして、そのショッキングな内容に魅了されてから。それから紙の本でも電子書籍でも、当たるを幸い、買いまくってはいたのだが、他の書籍と同様、大半は積ん読山の中に埋没していた。この一冊も、イギリスの古い物語集である『カンタベリー物語』に何らかの関連があるお話なのかな?程度の関心で読み始めた。もっとも私は本家の『カンタベリー物語』読んだことはないのだが(笑)。

 

作者自身の解説によれば、この作品は「パワースポット」にちなんだ作品集なのだそうだ。元々の題名は『聖地巡礼』だったらしい。聖地巡礼というからには、スペイン巡るとか、五体投地でインド巡るとか、せめて出雲大社くらいには行きそうなものだが、当時の真梨氏の「身分」はフリーライターフリーライターというのは、自分で文章を書くようになってから実際に体験したが、多くの場合取材費が一切出ない。取材に行く際の交通費が出れば上等な方で、大抵の場合は、全て込みで1文字1円とかの超ブラック労働だ。取材地への往復で2時間かけて、原稿書くのに3時間かかって、原稿料1000円とかいう案件ばかり。到底生業にはなり得ないし、副業としても割の悪い仕事ではある。

 

というわけで、この作品の舞台も、真梨氏の当時の生活圏内にあった「パワースポット」が舞台となっている。作品の雰囲気も、重苦しくはあるものの、後の真梨氏の作風ほどには「イヤミス」度は高くない、マイルドな仕上がりとなっている。一つのお話の登場人物が、次の作品で主人公になったりするところは『水滸伝』的な連作小説とでも言おうか。

 

これが、世に名が売れた後に書かれた作品であれば、新趣向と言えるのかも知れないが、実はこの本が、小説家としての真梨氏の処女出版作品だったということが解説でも触れられていた。いわば、小説家真梨幸子の原点は後のイメージからすれば随分とマイルドなものだったということがわかる。血みどろとか、異常心理を描くよりは、輝かしい青春時代を送っていた人物が罪人にまで転落し、醜く老いた姿を晒してみたり、順調だと思っていた生活が何かのきっかけで悪い方悪い方にまわっていってしまうというような、日常のどこにでもあるエアポケットを描いて、後味の悪さを描き出している。日常のどこにでも「嫌な思い」のタネは転がっているということを認識する目を持ち、それをうまく描き出す技術を持ち得ているからこそ、「普通」の生活の中ではあり得ないような荒唐無稽な状態をも描き切ることができるのだということをわからせてくれた作品集だった。

 

さてさて、私も真梨氏にとっての『殺人鬼フジコの衝動』に当たるような作品を書き上げられるように精進するとしましょう。先述の通り、フリーライター一本で食っていくのは容易なことじゃありませんからね。

 

考え方を参考に、自分自身のメモ術を試行錯誤中 「100円ノート『超』メモ術」読後感

 

 

私の長年の課題としてあり続けているのが、システム手帳の活用方法。この駄ブログでも手帳術やら、メモに関する書籍を何冊か紹介し、実際にその本に書かれている方法をいくつか試してみもしたのだが、どれも長続きせず、机の上には正しく無用の長物と化しているA5サイズのシステム手帳が綺麗なまま鎮座ましましている。いうまでもなく、手帳は飾っておくものではなく、中身をいかに充実させるかが勝負なので、機能的にも心理的にも実によろしくない状態だ。

 

というわけで、たまに手帳術の本を見かけるとついつい衝動DLしてしまい、読んだその瞬間は「よし、この方法で手帳を活用しよう」と思うのだが、1年と続いた試しがない。標題の一冊もKindle Unlimitedにラインアップされていたのをたまたま見かけて、さほど期待せずにDLして読んでみた。

 

ところが意に反して、この一冊なかなか為になった。まず、様々なメモ術が長続きしない理由にガッチリと掴まれてしまった。

 

・メモしたい時に手近に紙がないことが多い。

-うんうん、よくある。

 

・適当な紙にメモしたはいいが、そのメモを紛失してしまう。

-んだんだ、その通り。

 

・いいアイデアが閃いたものの、白紙のページを探しているうちに、アイデア自体を忘れてしまう。

-あるある。で、アイデアを忘れてしまったことを悔いるというネガティブ感情まで置き土産にされてしまう。

 

・アイデアは確実に記録したが、どこに記録したか忘れてしまい、見つからない。

-御意。忘れた頃にひょっこり出てきたはいいが、そのアイデアの「有効期間」をすぎてしまっていてホゾを噛んだ経験多数。

 

・アイデアを整理するのが面倒くさい。

-その通り。最初は意気込んでいっぱいインデックス作るんだけど、そのうち面倒になって分類しなくなるし、分類しないままの状態を見るのが嫌で、手帳自体を開かなくなったりもするという副作用もある。

 

列挙してあったネガティブ要素には全て心当たりがある。占い師に自分の過去をピタリ言い当てられた時にはこんな心境になるんじゃないかと思わされた。

 

で、このネガティブ要素を全て解消し、知的活動を快適なものにするのが著者中公竹義氏の開発した『超メモ術』だ、というのがこの本の内容だ。具体的な方法は是非とも本文にあたっていただきたいが、中公氏は自身のHPでメモ術を詳しく紹介もしているので、こちらも参照されると良いだろう。

 

communication21.biz

 

たった100円の手帳をPC(ペーパーコンピューター)として知的活動に最大限の利用しようとする考え方には感心させられた。

 

さて、私自身は中公氏の方法を完コピしようとは考えていない。一番の理由は、今までシステム手帳にかけてきたコストが惜しいからだ。中公氏のメソッドのエッセンスを活かしながら、システム手帳をいかにペーパーコンピューターとして使いこなすか。これを今後の具体的な課題にしていこうと思う。とりあえず、思いついたことや関心のあるトピックスについて、とにかくすぐに書いてしまうために、システム手帳の先頭に白紙のページを大量に綴じ込むことから始め、すでに何枚かにアイデアやらレシピやらを書き込んで整理した。幸いなことに私は現在、日々動き回るような仕事をしていないし、時間にも余裕があるので、出先で急にメモを取るようなことはない。まずは、頭の中にあることを細大漏らさず書き付けること、そしてそれをなる早で整理していくこと。これを心がけて、習慣化していこうと思う。

 

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.207(休職日記44 お題と徒然)

今週のお題「10年前の自分」

 

フジテレビがとんでもないことになっているようだ。CMを出稿している大企業が次々、スポンサーを下り、収入が見込めないどころか、損害賠償を請求されかねない状態だそうだ。バブル期に数々のバラエティー番組を成功させ、その勢いを駆って、トレンディードラマやら朝のワイドショー、報道番組に至るまで全て高視聴率を叩き出し、長い間視聴率三冠王の座にあったフジの凋落ぶりは目を覆わんばかり。今や、話題になるのは2度の会見の不備な部分ばかり。放送局としてのビジネスの存続が可能か否かの瀬戸際にまで追い込まれた。1990年代の「楽しくなければテレビじゃない」というフジテレビが発信したキャッチコピーに一視聴者として大いにノセられ、自身の就活時期には真剣にフジテレビへの就職を志向した身としては、今のフジテレビの体たらくは悲しい限り。当家は見逃し配信でさまざまな番組を観るという習慣が定着して以来、フジに限らずリアイルタイムの放送を観る機会はめっきり減ったが、中でもフジテレビはほとんど観ない局に陥ってしまった。何しろ同局の最後の砦と言える「めざましTV」ですら観ないので、今誰がMCとして番組を回しているのすらわからない状態だ。

 

自分の就活時、フジテレビは落ちたし、もう一つ、結構いいところまで行った、広告会社も1社落ちたが、フジテレビはとんでもないことになっているし、広告会社の方は、もし入社していれば入社初年度に、女子更衣室の盗撮問題が露見して大スキャンダルとなった、人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、当時恋焦がれながら、入社を果たせなかった会社はいずれもスキャンダルで大沈没状態。堅実な経営を続けている現在の会社に入社したことは、「正解」だったと言えるのだが、残念ながら、今の会社には私のやりたいことはなかった、いやあるにはあるのだが、結局希望の部署への異動は一度として叶わず、その不満が講じて精神を病む結果となった。こっちについても「禍福はあざなえる縄の如し」という格言が見事に当てはまる。「人はパンのみにて生きるにあらず」という聖書の言葉もバッチリあってしまう。金払ってんだから、会社の命令聞けよ、というのは経済社会の根本的な原則ではあるが、私にとっては今までの会社員生活は苦痛でしかなかった。

 

でお題の「10年前何してた」というネタに対して答える。10年前は2度めの休職から復帰したところだった。ただ、当時の上司は休職を「休暇」としか考えておらず、復帰したら、今まで休んでいた分他人の2倍でも3倍でも働け、ということを平気で言ってくる人物だった。おかげで復帰早々、残業は当たり前、他の人の業務も随分振られて、毎日いきなり忙しい日々の中に放り込まれた。一度など、予約していたメンタルクリニックへの通院を強引に止められもした。その日に通院しないと抗うつ剤が切れてしまうという状態であったにも関わらず、医者に行くなというのはどう考えても暴挙だ。極端な話、そこで薬が手に入らなかったおかげで自殺してしまったらどう責任を取るつもりだったのか?医者とか、薬に頼っていたらいつまでも治るもんも治らないとか抜かしてやがったが、病気に対する理解が明らかに欠如している男だった。不眠を訴えても「俺だって眠れない夜はある」とかてめえと一緒にするな!!と言いたくなるような暴言を吐いて、とにかく私を会社に縛りつけようとした。次の異動でこいつが別部署に転出になった際は心底ほっとした。運悪くこの男とは通勤経路がほぼ一緒だったため、出退勤時に同じ電車で鉢合わせることも何度かあり、また飲み屋でも何回かバッティングしたが、電車は、この男の姿を見つけか瞬間に一本見送ったし、飲み屋はすぐに席を立った。転勤の翌年、年賀状なんぞ送ってきやがったが、黙殺した。

現在の休職にも幾分かはこいつからの仕打ちの影響は残っている。多分こいつはそんなこと少しも思わないんだろうけどね。

 

支離鬱々日記Vol.206(休職日記43 お題と徒然)

今週のお題「勉強していること、勉強したいこと」

 

もはや小正月を過ぎてしまったので、本来なら反則だが、まずは年頭のご挨拶。ブロ友の皆様、あけましておめでとうございます。今年も興味の赴くまま、あらゆる事象に対し、愚にもつかないツッコミを入れていこうと思いますので、よろしくご愛読のほどお願いいたします。

 

まずは言い訳。今年の初投稿が一月も下旬に差しかかろうというこの時期にまで遅れてしまったのは、ひとえに体調不良のなせる業。昨年末の大掃除のドタバタから、親族の新年会の準備の疲れを引きずりながら、ややキツめの執筆スケジュールで、いろんなことを書き散らかした結果、生活のリズムが大幅に乱れ、喘息の発作が出て、それが長引き、体調を崩した。今もなお、完調とは言い難い状態が続いている。私の場合、カラダにパワーがないとココロもそれに釣られて不調に陥る。で、いろんなことをやる気力が湧かず、本日にまで至ってしまったというわけだ。普段と違う無理なことをすると碌なことがない、という教訓を新年早々もらったので、ボチボチといろんなことをやっていくことにする。

 

↑のマディソンスクエアガーデンの小型バッグ、昨年のブラックフライデー実施時に衝動買いしたのだが、同年代には異常にウケる。40代後半くらいの人に見せると「昔持ってた〜」、「懐かしい」、「どこで買ったの?」という反応が100%戻ってくる。で、Amazonの商品ページを示してあげると「欲しい、買っちゃおうかな?」という反応も、かなりの高確率で帰ってくる。本当に購入に結びついているのなら、プロモーション謝礼くらいもらっても良さそうな、熱い反応なのだが、残念ながら、実際に購入が確認できたのは当家の最高権力者様のみ。自分には大した影響力がないんだってことを日々思い知らされている。

 

ここのところ、少し料理に対してはやる気になっている。とはいえ、圧力鍋を用いて、一気に短期間で煮込んでしまうものばかりだが。昨年末から、先週までに、牛すじカレー2回、牛すじのシチュー2回、豚モツを用いたフェジョアーダが1回。おかげで、我が家にはカレーショップ並みにスパイスの匂いが立ち込める日々が続いた。中でもシチューが好評で、義兄一家に持って行ったら何度もおかわりをリクエストされた。こうなると俄然やる気が出てしまう。来週は義母、並びに実母の合同誕生会なので、その席にもう一度シチューを作って持っていくことにする。3月に出産を控えている義姉には特に好評なので、たっぷり作って持っていこうと思う。牛すじは、下茹でして、アクや余分な脂を丁寧に取り除けば、食感、味わいともにグンと増すので時間に余裕がある休職中に極めてみようと思う。

 

最後にお題。勉強したいなと思っていることを列挙してみる。

 

TOEIC 目標点を900点において本気でチャレンジし、達成した後は公認TOEIC講師資格の奪取まで見込む。

 

漢字検定 2級を受けるか、準1級を受けるかで迷っている。2級ならさほどの準備なく合格できそうだが、準1級はなかなかに手強い。

 

メンタルヘルスマネジメントI種 6回失敗。ここ2年は心身の状況が整わず、受験すらできていない。選択問題は合格基準に達しているので、あとは論文試験とどう取り組むかになるのだが、その昔司法試験の合格には六法全書を丸暗記が必須などと言われていたことに倣い、公式テキストブックの丸暗記にでもチャレンジしてみようかと考えている。

 

・文章磨き これは資格も合格点もない。死ぬまで精進の日々を続けていくべきもの。オーダーされた文章だけでなく、創作の方にもチャレンジしてみたいと考えている。

 

ウイスキー検定 ハイボールブームを受けて、ウイスキーの需要が増したこともあり、ウイスキーの蘊蓄系の文章のニーズもそこそこあるので、そうしたサイトに採用されやすくするための箔付けとして資格を持っておこうかと漠然と考えている。

 

・IC3 今後の人生がどう転ぶかわかったもんじゃないが、どこかに転職するにしても、事務職を続けて行くには持っておいて損がないだろうと考えられる資格。特別に有利になりそうな資格でもないような気はするが。

 

いずれにせよ、まだ会社に復帰しようという気持ちは全く起こってこない。このままフェイドアウトすることになっても致し方なし、という気持ちで、心の中は一杯だ。