寒天パッケージの「うれしいレシピ入り」の文字に違和感を抱いたのはなぜだろう - 言いたいことやまやまです

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2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

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寒天パッケージの「うれしいレシピ入り」の文字に違和感を抱いたのはなぜだろう

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牛乳寒天をつくろうと思って「寒天の粉」を調達。

よくよく見ると小さなパッケージの隅には「うれしいレシピ入り!」の文字が輝いていました。

 

たいした自信だなと思って開封してみれば、文字メインの大変基本的なレシピ(牛乳寒天、コーヒーゼリーなど)の紙が入っていました。

シニアですら強制的にスマートフォンを選ばされる令和の世、このくらいのレシピであれば数秒でいくらでも検索できます。

この蛇腹折りの紙は果たして「うれしいレシピ」と言えるのだろうか。

 

これが「もしかしたらうれしいかもしれないレシピ入り!」という文字だったら、私はむしろ好感を持っていたような気がします。

 

ラジオショッピングのハイテンションナビゲーターが苦手

Amazon EchoをLDKに置いたことで、ラジオを聴く時間がとても増えました。

基本的にTBSラジオを流しており、どの番組でも必ず設けられている通販コーナーの時間は少々憂鬱になります。

とくに、ハイテンションな女性がナビゲーターの場合。

発している声の「ヘルツ」的なものといい、商品の推し方といい、すべてが過剰なのです。

いいものだ、いいものだと強調されるたびに興ざめします。

 

でもみんながみんな「ハイテンション」なので、このくらい押しが強くて初めて、中年~シニア層の心に届くということなのかもしれません。

なんにせよ、素人の私にはわからない、けれど確固とした「根拠」があるのでしょう。

現在70歳手前の両親がこの手の宣伝に心動かされている様子を1度も見たことがないので、実際のところはどうなのか、気になっています。

「ネガティブ系PR」はダメらしい

コロナ前、イベント集客に苦戦している知人に

「イベント内容がいかに素晴らしいかを説く戦略はやめて、いっそ、”私を助けるつもりで、何卒ご参加ください!”くらいのことを言ってみたらどうか?」

と提案したことがあります。

瞬速で却下されました。

自分で自分を貶めるような表現をすれば、「そういう人」しか来ないのだと言われた覚えが。

謙譲の国・日本での「自信満々PR」の違和感

こういう違和感で最初に大きく苦しめられたのは、就職活動の場だったと思います。

なんだよ、自己PRって。

ふつうの暮らしを無理やり「プラス視点」で切り取って、背筋を伸ばし演説させられるのは不快きわまりないものでした。

 

(かく言う私も、部活もサークルも課外活動もしていなかった日々を「基本的なことですが勉強をがんばりました。やりたい、やりたくないではなく、課題としてやれと言われたらとにかくやりきって、結果を残します」と話してみました。

要は「私は自分軸のない犬です」と言っているようなもんで、大変に体育会系な会社から気に入られて内定をいただいたことがあります)

 

おとなになったとたん、「自信満々」を良しとする場との遭遇機会が増えて戸惑いました。

あまりに不思議です。ここがアメリカならまだしも、謙遜と謙譲語の島国ジャポンではありませんか。

 

ほめられたら「そんなことないよ~」と返すのが正解。

どれだけテスト勉強していても、当日になったら「全然勉強してないよ~」と言うのが正解。

イチオシの手土産を持参しても「つまらないものですが」と差し出すのが正解。

一人称は「拙者」で、自慢の息子も「愚息」です。

 

就職・転職活動以外でのPRの場といえば、営業活動や宣伝活動、広報活動時などなど。

プレスリリースに踊る文字に、「なんちゅうピンポイントなことをドヤ顔で語っとるんじゃ!」とツッコミたくなることもあります。

売上No.1! とか、業界初! とか、豪華7機能搭載! とかじゃなく、ちょっと自信なさそうなくらいのアピールのほうが、日本人の心に響くのではないのだろうか、と思うこともあります。

 

たとえば前述のラジオ通販。

先日はオイルヒーター

「オイルの交換は、なんと、不要なんです!」
「ええっ、それは嬉しい!」

という、「そんなんあたりまえだろ」と言いたくなるようなことに謎の自信とテンションをもってイチオシしていました。

それで商品が売れる理由がわかりません。

「自信満々」が嫌なのではなく「自信満々”風”」が嫌だったのか!

自信満々でギラギラした人の話に、魅力、感じますか?

もちろん人それぞれに好みはあるでしょう。

少なくとも私にとっては濃厚すぎます。「ああなりたい!」と思えない対象の代表格です。

 

じゃあ、支持されたり目指す像にされていたりする人って、どんな人だろうか。

 

たとえば、宇宙とお金配りでおなじみの前澤さん。

……こないだWBSで大江さんのインタビューを受けていたけれど、ギラギラ感はなかったぞ。

ひろゆきさんも、ギラギラはしていない。

語る内容に確固とした自信は見えるけれど、語り口や佇まいはとても普通というか、淡々としているというか……。

 

書いていて気づきました。

私がこれまで不快に感じていたのは

「実際に自信があるかどうかはわからないが、”自信がありそう”な見せ方をしている人、もの、こと」

だったのだ!

きっとそのハリボテ感にイライラを抱いていたのだと思います。

「自信」は他人にアピールするものではなく、自分のなかで育てるもの

さっき「謙遜の国、日本」なんてことを書きましたが、令和の世ではそれも時代遅れになるでしょう。

 

「きれいにしてるね」と言われたときに「ありがとう」と言える子がかわいいし、
わざわざ自分から「勉強してない」アピールをするやつはダサいし、
「大好きなおまんじゅうなの」と手渡されたまんじゅうはおいしく感じる。

 

変にへりくだられると慇懃無礼オーラを察知して気分が悪くなる人、けっこういらっしゃるのではないでしょうか。少なくとも私はそうだなあ。

 

自信満々な自己PRってうっとうしいよな、と思って、謙遜気味、ネガティブ気味な自己紹介をする機会が多々あったのですが、今回の記事での気づきを機に、変えていきます。

 

専業主婦であること、どこかに給与をもらう形での勤労ではないことを卑下しない。
高齢妊婦であることに悲観しない。

 

逆に、自信満々感を表現しようと無理しなくたっていいのです。

自信は自分のなかにあればいい。

それがブレないものになるにつれ、必死に「私ってすごいんです! 価値ある人間なんです!」という表現を使わなくても、ふだんの言動からにじみ出ていくはず。

料理の「出汁」みたいなもんですな。

目指せ、日高昆布を!

 

通販といえば、やっぱりトーカ堂の北社長が好きです。

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