ココ・シャネル(Coco Chanel)としても知られた「シャネル(CHANEL)」創業者の回顧展「ガブリエル・シャネル ファッション・マニフェスト(Gabrielle Chanel. Fashion Manifesto)」が現在、英国ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(以下、V&A)で開催中だ。同展は、2020年にフランスのガリエラ宮パリ市立モード美術館で開催された回顧展を再構成したもの。デザイナーのシャネルにフォーカスした展覧会が英国で開催されるのは初となる。会期はもともと23年9月16日から24年2月25日だったが、一般チケットは早々に完売(V&Aの会員はいつでも入場可能)。その後、12月からは特別に通常の開館時間前後にオープンする日程が設けられたが、そのチケットも売り切れるほどの人気で、24年3月10日までの会期延長が決まった。そんな話題の展覧会の模様をリポートする。
ビジネスを確立した革新的かつ先駆的な姿勢
「ガブリエル・シャネル ファッション・マニフェスト」展は、1909年にパリのマルシェルブ大通りのアパルトマンに帽子サロンを開き、その翌年に象徴的なカンボン通りに移転して帽子店「シャネル モード(CHANEL MODE)」をオープンしてから71年に最後のコレクションを発表するまで、約60年にわたるシャネルというデザイナー、そしてメゾンの軌跡をたどるものだ。V&Aの前には、オーストラリア・メルボルンのビクトリア国立美術館と東京の三菱一号館美術館でも同様の展示が開催され、7月には中国の上海当代美術博物館への巡回も決まっている。V&Aの展覧会は、広いスペースと大掛かりなセット、そして新たに追加された約100点の作品によって、展示内容がさらに充実。200以上のルックと共に、アクセサリーやフレグランス、ジュエリー、テキスタイル、写真などが並び、ファッション好きだけでなく幅広い観客に向けた構成になっている。
展示は、シャネルの87年の生涯を振り返る年表からスタート。1883年8月19日にロワール地方ソーミュールの貧しい家に生まれ、母の死後は孤児として修道院で育ったという生い立ちから、1971年1月10日に30年以上暮らしていたホテル リッツ パリで亡くなるまでが記されている。帽子からファッションのキャリアを築いたシャネルだが、その成功から数年でウィメンズウエアも手掛け始め、12年にノルマンディ地方の海沿いにあるリゾート地ドーヴィルに初のブティックをオープン。15年にはバスク地方の高級リゾート地ビアリッツに初のクチュールメゾンを開いた。
シャネルの先見性を物語るのは、13年に発表したスポーツウエアだ。男性肌着用の素材と考えられていたジャージーを使ったミニマルなデザインは当時の装飾的なファッションとは対照的。しかし、着心地や動きやすさを兼ね備えた服はリゾートで過ごす富裕層から支持を集め、地味なジャージー素材をファッションとして扱ったことで彼女はフランスのファッション界に名を知らしめることになった。その一例として、会場には現存する最も古いアイテムの一つである16年春夏のシルクジャージーのブラウスが展示されている。そのデザインは漁師が着るプルオーバーから着想を得たもの。創業初期から常識にとらわれることなくメンズウエアのコードを女性の装いに取り入れ、動きやすく日常生活に寄り添うシンプルなワードローブというビジョンを掲げてきた。
また21年には、メゾンを代表する製品となる初のフレグランス“シャネル N°5(CHANEL N°5)”を発表。24年にはフレグランスとビューティ製品の製造販売を担う会社ソシエテ デ パルファン シャネル(SOCIETE DES PARFUMS CHANEL)を立ち上げ、初のメークアップコレクションをローンチした。さらに、その3年後にはスキンケアラインも発表。今ではラグジュアリーメゾンやデザイナーズブランドがビューティビジネスを展開することが当たり前になっているが、「シャネル」はそれを20年代に成し遂げていた。シンプルなタイポグラフィを用いた白黒のミニマルなパッケージデザインは、シャネルの美学を反映したものであり、現在にも通じている。
それだけでなく、シャネルは20年代にリトルブラックドレスを制作することで、それまで喪服のイメージが強かった黒をスタイリッシュなワードローブの選択肢として再解釈。31年からは「今日、ファッションを浸透させるには映画の力が必要」という考えからハリウッド女優たちの衣装や私服のデザインを手掛けた。そして、20年代からのファッションとしてのコスチュームジュエリーの提案に加え、32年にはジュエリー業界の慣習にとらわれない彼女にとって初であり唯一のハイジュエリー・コレクションも発表。振り返ると、さまざまな面において革新的かつ先駆的であったことが分かる。
シャネルと英国の深い関係
V&Aでの開催で新たに加えられたのは、英国の深い関係を示すパートだ。「シャネル」は20年代初頭からすでに英国から生地を調達しており、27年にはロンドンにクチュールサロンをオープンした。そして32年には、英国のテキスタイルメーカーと直接取引を行うため、現地法人のブリティッシュ シャネル(BRITISH CHANEL)を設立。翌年には、ウエスト・ヨークシャー州のカークヒートンに生産設備を備えたシャネル ブロードヘッド ファブリックス(CHANEL BROADHEAD FABRICS)も立ち上げた。
また、シャネルは個人的にも英国と強いつながりを持っていた。その背景には、英海運商のアーサー・エドワード・“ボーイ”・カペル(Arthur Edward 'Boy' Capel)や第2代ヒュー・グロスヴェナー(Hugh Grosvenor)といった、彼女と恋仲にあった男性の影響がある。前者は、シャネルがパリやドーヴィルに店を開く際に資金援助したことでも知られる人物であり、彼女が愛しメゾンのアイコンの一つとなった白いカメリアも彼が贈った花に由来すると言われている。一方、後者との交際によりシャネルは英国で過ごす時間が増え、英国の上流階級との交流を深めた。そして、公爵が着ていたツイードジャケットは、彼女が女性用のツイードスーツを生み出すきっかけにもなった。
シャネルの復帰と数々のアイコンが誕生した50年代
39年に第二次世界大戦が始まった後、「シャネル」はクチュールメゾンを閉鎖。カンボン通りにあった5つのブティックのうち、31番地の店でフレグランスとアクセサリーの販売のみを継続した。そしてナチス・ドイツ占領下になったパリで、 ドイツ将校のハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ(Hans Günther von Dincklage)男爵と関係を持ったシャネルは、その諜報活動に関与したとみなされる。44年にパリが解放されると、男爵との関係を理由に拘束された彼女は数時間の尋問を経て釈放されたが、その後スイスに亡命。約10年間ファッションの表舞台から姿を消した。同展では「戦時中のシャネルの活動は彼女のレガシーに影を落とし続け、過去70年間多くの記事や出版物のテーマとされてきた」と解説。一方、歴史的書類に基づく新たな情報として、「43年1月からシャネルはフランスのレジスタンス(ナチスに対して行われた抵抗運動)の一員であった」ということも明らかにした。当時の真相はまだ研究中で諸説あるが、いずれにしても“美談”以外のエピソードも取り上げることは、彼女の波乱万丈な人生を伝える上で重要だろう。
53年、パリに戻ってきた70歳のシャネルはクチュールメゾンを再開し、54年2月5日に新作コレクションを発表。20 年代から 30 年代にかけて自身が手掛けてきたシグネチャーを時代に合わせて再解釈したデザインを披露した。復帰の理由について、彼女は「あるディナーで、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が女性は決して素晴らしいクチュリエになることはできないと言ったから」と、後にライフ誌に明かしている。
また50年代には、今でも愛され続ける数々のアイコンが生み出された。55年2月には、キルティングステッチを施したチェーンバッグ“2.55”を発表。56年にはタイムレスなクラシックとなるブレードが施されたツイードスーツを、57年にはつま先をブラックで切り替えたバイカラーシューズを打ち出した。ツイードは「シャネル」と切っても切り離せない関係にあるもの。しなやかなツイードを使って動きやすいように仕立てられたスーツやセットアップなど54体がズラリと並ぶ部屋は、同展の目玉の一つになっている。
エフォートレスなエレガンスの追求
クチュール・コレクションを再開して以降、イブニングウエアの重要性は増し、50年代後半からはデイウエアとして考えられてきたスカートスーツをイブニングシーン向けに提案するアプローチも見られた。その多くは、金銀のラメ糸を用いた質感豊かな生地や複雑な模様を施したシルクなどで華やかに仕上げられている。一方、最後の部屋は、カンボン通りのクチュールサロンにある鏡張りの階段を再現した空間に、イブニングドレスを展示。当時のトレンドを汲みながらも着用する女性の快適さにこだわり、エフォートレスなエレガンスを追求したデザインがそろう。その中には、彼女が亡くなった2週間後に発表された最後のコレクションのドレスもあった。
シャネルは何よりもまず自分自身のためにデザインしてきたというが、アクティブなライフスタイルを送る自立した女性のための服は、その時代を生きる女性たちのニーズと願望をいち早く汲み取ったものだった。デザイナーとしての才能とビジネスセンスを併せ持ち、ファッションを通して女性を解放した彼女は、そのスタイルだけでなく生き方や姿勢においても多くの女性に影響を与え続けている。今回の展覧会からは、そんなガブリエル・シャネルの揺るぎない美学と先見性が感じられた。