TOTOでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/25 15:23 UTC 版)
「デヴィッド・ペイチ」の記事における「TOTOでの活動」の解説
スタジオ・ミュージシャンとして著名なペイチだが、TOTOのメンバーとしてより知られている。特にTOTOは「ジェフ・ポーカロとデヴィッド・ペイチを中心に結成」と表現されることが多いなど、事実上ジェフと共に中心人物として活動してきた。実際、初期から中期にかけての代表曲、ヒット曲の多くは彼の単独作曲あるいは中心となって作曲された曲である。また、自身がメインボーカルを務めた「Africa」は全米1位という快挙を遂げており、現在でも最もよく知られる楽曲の一つである。 初期のTOTOにはペイチ以外にもう1人、ジェフ・ポーカロの弟であるスティーヴ・ポーカロがキーボディストとして在籍しており、彼はペイチとは異なり主に煌びやかなシンセサイザーサウンドを多用し、スペーシーと呼ばれる派手なサウンドで、オーソドックスなペイチのピアノやオルガンプレイと差別化を図り、うまく共存していた。Fahrenheitを最後にスティーヴが脱退すると、以後はステージ上でスティーヴの役割も果たしているが、実際のところレコーディングではスティーヴはその後もほぼレギュラーのサポートメンバーとしてアルバムに全面参加したり、場合によってはツアーにも参加しているので、特に役割は変わっていないとも言える。 ツアーではペイチ1人で2人分のプレイをするのは難しいため、ジョン・ジョッセルやジェフ・バブコ他、元メンバーであるスティーヴ・ポーカロがサポートとして参加することも多かった。 来歴にもあるように、後期のツアーにはほとんど参加せず、代役にグレッグ・フィリンゲインズを指名した。その後グレッグは、ペイチの強い推薦で正式メンバーとなるが、自身は脱退せずレコーディング現場では作曲、演奏、歌唱のすべてにこれまで通り参加。Falling in Betweenでは、普段ステージ上では主にペイチの代役状態であったグレッグと、真の意味で並存する正式メンバー同士として共演した。 ペイチのツアー離脱については、来歴にもあるように家族の病気と発表されていた。ルカサーの近年[いつ?]のインタビューでは本人の健康状態も関係していること、ルカサーとペイチの不仲を仄めかす発言があった。しかし不仲説は後に公式に否定、ソウルブラザーと呼びあうほどの仲であることを語っている。 2008年3月のジャパン・ツアーで久しぶりにステージに復帰。ツインキーボードとしてグレッグと共演を果たした。また、TOTOとしてはスティーヴ脱退以降20年以上ぶりの正式メンバーによるツインキーボード・ステージとなった。
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