RSD長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 22:13 UTC 版)
「ヨハン・ラッテンフーバー」の記事における「RSD長官」の解説
1933年にバイエルン州警察長官ハインリヒ・ヒムラーの副官となる。3月15日、ベルリンにてアドルフ・ヒトラーの個人警護部隊を立ち上げる任務を受け、3月15日に「Führerschutzkommando(総統護衛隊)」を立ち上げた。この部隊はヒトラーだけではなく、ナチス・ドイツの要人警護も担当したため、1935年8月1日に「Reichssicherheitsdienst(国家保安局)」(RSD)と改名された。ラッテンフーバーは一貫してヒトラー警護の任務に就き、ヴォルフスシャンツェを始めとする総統大本営や総統官邸の警備を行った。以来、ラッテンフーバーはヒトラーの個人警護に責任を持つ重要人物としての地位を固めるようになる。 1934年のレーム事件の後、ラッテンフーバとRSD職員はSSに組み込まれ(隊員番号52,877)、警察の階級に対応するSS階級を取得した。また、1935年にはナチ党へ入党している(党員番号3,212,449)。 1942年1月、ヒトラーが夏に視察する予定のウクライナ・ヴィーンヌィツャを訪れて現地の親衛隊幹部と会談し、ヒトラーが視察に訪れる前にユダヤ人を一掃するように指示した。これを受けた親衛隊少佐フリードリヒ・シュミット(Friedrich Schmidt)は1月10日に227人のユダヤ人を殺害し、7月のヒトラー到着前日に再びユダヤ人を殺害している。
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