RAA設置中の性犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:00 UTC 版)
「特殊慰安施設協会」の記事における「RAA設置中の性犯罪」の解説
横須賀や横浜をはじめ、進駐軍が民家に侵入し日本人女性を強姦する事件が多発した。1945年9月2日開業予定の小町園慰安所へマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達が8月28日に乗り込み、すべての慰安婦たちを強姦した。他に1945年9月5日に武装した米兵が鳩の街に来ている。このとき売春婦たちがおびえたため、業者は売春婦たちに客を取らせた。この後、これに続くように進駐軍の兵士は吉原や新宿二丁目の遊郭へ行き始めた。 横浜のある慰安所では、100名を超える武装したアメリカ兵が開業前日の慰安所に乗り込み慰安婦14名を輪姦した。翌日、抵抗した慰安婦を米兵が絞殺する事件が起こり、開業2日目で閉鎖された。開業後の慰安所では、どの部屋からも男たちの笑い声と女性たちのすすり泣く声が聞こえていた。精神を患う慰安婦、自殺する慰安婦も少なくなかった。9月1日に野毛山公園で日本女性が27人の米兵に集団強姦された。9月5日に神奈川県の女子高校が休校した。9月19日にGHQがプレスコードを発令して以後は、連合軍を批判的に扱う記事は新聞に掲載されなくなった。 武蔵野市では小学生が集団強姦され、大森では病院に2 - 300人の米兵が侵入し、妊婦や看護婦らが強姦された。その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の占領軍兵士による日本人女性の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目ゆきは占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている。
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