NBA時代初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/04 18:16 UTC 版)
「エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)」の記事における「NBA時代初期」の解説
ルーキーイヤーの1981-1982シーズンからいきなり74試合に出場。翌年からはレギュラーを獲得し、1983-84シーズンと1984-1985シーズンには82試合にフル出場。それ以後は先発出場が減ったが、シュート技術を生かし、シックスマンとして活躍。1987-1988シーズンにはフェニックス・サンズに移籍。73試合で59試合に先発出場したものの、翌1988-1989シーズンは再び控えに回る。しかし、控えながらも70試合に出場。3ポイントシュート成功率は40.3%とし、シックスマン賞を受賞した。その後も主にシックスマンとして安定した成績を残し続けたが、1989-1990シーズン途中にシアトル・スーパーソニックスにトレードされ、1993-1994シーズンにはシャーロット・ホーネッツへ移籍。1年後にはヨーロッパの強豪、ギリシャA1バスケットボールリーグのオリンピアコスに移籍した。
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