MI6長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 06:49 UTC 版)
「スチュワート・メンジーズ」の記事における「MI6長官」の解説
1939年にシンクレアが死去するとメンジーズがSISの長官に任命された。彼は諜報、防諜活動の部署を拡充するとともに、ブレッチリー・パークを本拠としていた暗号解読作戦を重視した。当時SISは大恐慌によって予算が削減されたこともあり、小規模で影響力の小さな部署にすぎなかった。 第二次世界大戦が勃発するとSISの規模は拡大された。メンジーズは暗号解読作戦をSISが担当とするよう主張しこれに成功した。政府暗号学校 (GC&CS) によっておこなわれたナチス・ドイツのエニグマ暗号の解読成果であるウルトラ情報は、政府内で高い評価を得てSISの重要度は飛躍的に上昇した。ウルトラ情報によってイギリスは戦争中を通し戦略的、戦術的な優位を得、大西洋の戦い、ノルマンディー上陸作戦などに決定的な貢献を果たした 。1974年にフレデリック・ウィンターボーザムの著書「The Ultra Secret」が出版されるまで、この事実は公表されなかった。メンジーズは毎日のようにウルトラ情報をウィンストン・チャーチルに直接報告しており、戦中に二人が会談した数は1500回にも上る。この情報を重視したチャーチルは、戦争中も改良され続けたナチス・ドイツの暗号技術に対抗するため、予算を優先的に配分した。優秀な技術者、学者が動員され、1945年までに政府暗号学校で働く職員の数は1万を数えた。 イギリスの歴史家デイビッド・レイノルズは、ヴィシー・フランス政府の提督であるフランソワ・ダルランの暗殺にメンジーズが関与していたと主張している。レイノルズの著書によれば、戦中ほとんどロンドンを離れることのなかったメンジーズが暗殺時に北アフリカを訪問しており、暗殺にはSOEが関与していた可能性が高いとしている。 メンジーズは1944年に少将に昇進した。メンジーズの元でSISは、特殊作戦執行部 (SOE) 、安全保障調整局 (BSC)、アメリカの戦略諜報局 (OSS) 、自由フランス軍などと連携したほか、ドイツのアプヴェーア(国防軍情報部)の部長ヴィルヘルム・カナリスを中心とするドイツ国内の反ナチス運動にも関与していた。
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