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MG1作戦とは? わかりやすく解説

第2次シルテ湾海戦

(MG1作戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/10 03:42 UTC 版)

第2次シルテ湾海戦[4](だいにじシルテわんかいせん)は、1942年(昭和17年)3月22日地中海戦域連合国軍枢軸国軍艦隊が交戦した海戦[5]




注釈

  1. ^ 海戦終了後、帰路で悪天候のため軽巡1損傷、駆逐艦2隻沈没[2]
  2. ^ この損害のほかに、船団部隊がマルタ到着後、空襲と機雷で輸送船4隻沈没、駆逐艦2隻沈没[2]
  3. ^ 地中海艦隊の主力艦だったクイーン・エリザベス級戦艦は、戦艦ウォースパイト (HMS Warspite) が前年5月にクレタ島攻防戦で損傷し[19]、アメリカでの修理後は東洋艦隊に配備された。戦艦バーラム (HMS Barham) は前年11月25日にU-331の雷撃で沈没した[20]。戦艦クイーン・エリザベス (HMS Queen Elizabeth, 00) と戦艦ヴァリアント (HMS Valiant) は前年12月19日にアレクサンドリア港攻撃で大破着底、大修理を必要とした[21]。大西洋方面配備の戦艦マレーヤ (HMS Malaya) は1942年3月20日にU-106に撃破されてアメリカでの修理を余儀なくされた。
  4. ^ 前年12月19日、K部隊機雷原に入り込み軽巡ネプチューン (HMS Neptune, 20) と駆逐艦1隻が沈没し、軽巡2隻(オーロラ、ペネロピ)も大破した[30]。オーロラ (HMS Aurora) はイギリス本国に戻り、ペネロピはマルタで修理をおこなっていた。

脚注

  1. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 154.
  2. ^ a b c 三野、地中海の戦い 1993, p. 141.
  3. ^ a b c d e f g 三野、地中海の戦い 1993, p. 287.
  4. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、272ページ
  5. ^ 『世界の艦船 増刊第41集 イタリア戦艦史』海人社、1994年、126ページ
  6. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 138a-141第二次シルテ湾海戦
  7. ^ a b マルタ島攻防戦 1986, p. 49.
  8. ^ a b c d 三野、地中海の戦い 1993, p. 138b.
  9. ^ a b c d e f g マルタ島攻防戦 1986, p. 50.
  10. ^ 呪われた海 1973, pp. 234–235.
  11. ^ a b マルタ島攻防戦 1986, pp. 64–70輸送船団編成への動き
  12. ^ 呪われた海 1973, p. 226地図8 地中海航路図と基地航空隊行動圏
  13. ^ 呪われた海 1973, p. 227.
  14. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  15. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 142–144マルタ島に危機迫る
  16. ^ a b マルタ島攻防戦 1986, pp. 46–48.
  17. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 237–238.
  18. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 130–131イギリス海軍悪夢の二ヵ月間
  19. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 107–108.
  20. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 125–128思わぬ敵 ― ドイツUボート
  21. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128–130思わぬ敵 ― イタリア人間魚雷
  22. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 105–110ギリシャ情勢とクレタ島をめぐる戦い
  23. ^ 呪われた海 1973, p. 232.
  24. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 136–137第四期/1942年1月~6月まで
  25. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 244.
  26. ^ 呪われた海 1973, p. 234.
  27. ^ a b c イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 309.
  28. ^ a b c d 三野、地中海の戦い 1993, p. 140.
  29. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 156.
  30. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 122–124思わぬ敵 ― 機雷
  31. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 313.
  32. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 314.
  33. ^ マルタ島攻防戦 1986, pp. 70–79一九四二年六月の輸送船団
  34. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 155.
  35. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 317.


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MG1作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:28 UTC 版)

第2次シルテ湾海戦」の記事における「MG1作戦」の解説

アンドルー・カニンガム提督指揮する地中海艦隊は、マルタへの大規模輸送作戦準備した。MG1作戦は、輸送船4隻(ブレコンシャー、クラン・キャンベル、パンパス、タラボート)からなる船団アレクサンドリアからマルタへ送るというものである。このMW10船団護衛には、直接護衛として軽巡カーライル (HMS Carlisle,D67) 、駆逐艦サウスウォールド (HMS Southwold,L10) 、ボーフォート (HMS BeaufortL14) 、ダルヴァートン (HMS Dulverton,L63) 、ハワース (HMS Hurworth,L28) 、エイヴォン・ヴェイル (HMS AvonVale) 、エリッジ (HMS Eridge,L68) 、ヘイスロップ (HMS Heythrop,L85) が同行した。 この輸送船団部隊を、フィリップ・ヴァイアン少将旗艦クレオパトラ、第15巡洋戦隊)が指揮する間接護衛隊護衛する軽巡洋艦クレオパトラ (HMS Cleopatra, 33) 、ダイドー (HMS Dido) 、ユーライアラス (HMS Euryalus, 42) 、駆逐艦ジャーヴィス (HMS Jervis, F00) 、キプリング (HMS Kipling) 、ケルヴィン (HMS Kelvin, T37) 、キングストン (HMS Kingston, F64) 、シーク (HMS Sikh, F82) 、ヒーロー (HMS Hero) 、ライヴリー (HMS Lively, G40) 、ハヴォック (HMS Havock, H43) 、ヘイスティー (HMS Hasty, H24) 、ズールー (HMS Zulu, F18) という編成であった今回護衛部隊に加わっていたイギリス軽巡洋艦防空型であり、敵水上艦艇対す火力不足していた。船団3月20日アレクサンドリア出発し3月23日夜明けマルタ到着予定であった。またメッシーナ海峡南側ターラント湾哨戒するため、U級潜水艦3隻(アンバートン、アプホルダー、アルティメンタム)が配備された。 3月19日、まず航続距離の短いハント級駆逐艦7隻からなる第5駆逐群が対潜哨戒兼ねて船団先立ってアレクサンドリアから出航しトブルク向かった3月20日7時船団軽巡カーライル駆逐艦6隻に護衛されアレクサンドリア出航した残り護衛部隊も同日18時に出撃した。第5駆逐群は3月20日トブルク給油しその後船団合流したこの間に英駆逐艦ヘイスロップ (HMS Heythrop,L85) がソルム北方でU-652の雷撃を受け、沈没した3月22日午前6時に、後から出撃した部隊船団合流し午前8時には2日前にマルタから出撃していた軽巡洋艦ペネロピ (HMS Penelope, 97) と駆逐艦リージョン (HMS Legion, G74) も合流した。 この作戦支援するため、北アフリカではイギリス陸軍による陽動攻撃おこなわれたまた、船団対す航空攻撃脅威低減するため、キレナイカクレタ島対す空襲行われた3月21日17時5分、イタリア潜水艦プラチナイタリア語版) (Platino) がイギリス船団視認していた。また、Ju52輸送機イギリス船団発見したイギリス側動き呼応してメッシーナからアンジェロ・パロナ(英語版イタリア語版上級少将指揮する重巡洋艦ゴリツィア (Gorizia) 、トレント (Trento) 、軽巡洋艦ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ (Giovanni delle Bande Nere) 、駆逐艦アルピーノ、ベルサリエーレ(英語版イタリア語版)、フチリエーレ(英語版イタリア語版)、ランチエーレランチエーレが出撃した。 ターラントからアンジェロ・イアキーノ中将指揮する戦艦リットリオ (Littorio) 、駆逐艦アスカリアヴィエーレ (Aviere) 、アルフレード・オリアーニ英語版イタリア語版)、ジェニエーレ、グレカーレ (Grecale) 、シロッコ (Scirocco) が出撃し、両部隊は22日朝に合流してイギリス船団攻撃向かったイギリス潜水艦P36タラント出撃したイタリア艦隊発見報告したイギリス側有力な敵艦隊との遭遇覚悟して進撃続けた

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