KKコンビ再び
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:07 UTC 版)
1997年に清原がフリーエージェント制度を利用して巨人入りすると、桑田・清原は高校卒業以来のチームメイトとなり、再度KKコンビが見られるようになった。これは清原が2005年シーズン一杯でオリックス・バファローズに移籍するまで9年間続いた。一方の桑田も2006年末をもって巨人を退団、メジャーリーグに移籍する。 2008年7月、ピッツバーグ・パイレーツを解雇され現役を引退した桑田は、怪我から復帰して1軍昇格直前の清原とスカイマークスタジアムにおいて清原の打撃投手をパイレーツのユニホームを着て行った。後に清原は「桑田には(2006年9月に負傷した)スカイマークのバッターボックスに立てる勇気をもらった」と語っている。2008年に、清原も引退している。 2012年12月、テレビ番組の企画で西武ドームで対決している。 「AK砲」や「MK砲」(いずれも清原に関係している)など、野球界ではイニシャルをつなげた略称が好まれるが、KKコンビは日本球界において存在感を発揮したコンビ名の一つである。
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