GHQと競馬法成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:00 UTC 版)
1947年7月、連合国軍最高司令官総司令部より日本競馬会及び上記の中央馬事会、馬匹組合連合会が、「競馬事業を独占している独占機関である」との通告がもたらされる。GHQが志向していたであろう完全な民営化、そしてそれがもたらすと考えられた反社会的勢力の競馬へのさらなる蔓延を防ぐため、同年12月23日の閣議決定において、従来の公認競馬は国営化、馬連競馬は公営化し都道府県にこれを委ねることが決定された。各地の馬連は1948年春の開催を強行するなどの抵抗を続けたが解散・資産の委譲を迫られ、中央馬事会も1948年7月に解散を余儀なくされる。 そして1948年7月、競馬法が成立。これによって馬連競馬の資産及び開催権は都道府県、競馬場が所在する市町村、そして地方財政委員会が別途指定した戦災復興の中で自主財源不足に苦しむ市町村へと移り、地方競馬は現在まで続く公営競技へと大きな転換を果たすこととなる。
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