ECW-WWE
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2004年11月にWWEから発売されたDVD『The Rise and Fall of ECW』(日本語版は2005年1月発売)は好調な売れ行きをあげ、団体崩壊後もECW人気が根強く残っていることを示した。またロブ・ヴァン・ダムもビンス・マクマホンにECW復活の興行開催を提言しており、これらを受けてWWEは2005年6月12日に、かつてのECW所属選手およびWWE所属のECW出身選手を集めて、一夜限りのECWリユニオン・イベント『ECW ワン・ナイト・スタンド』を開催した(このWWEのプロジェクトに対抗して、2日前の6月10日にはシェーン・ダグラス、レイヴェンが中心となって『ハードコア・ホームカミング』という大会が旧ECWアリーナで開催されている)。 2006年6月11日にも前年に引き続き『ECW ワン・ナイト・スタンド』が行われたが、ダッドリー・ボーイズ(ババ・レイ・ダッドリー&ディーボン・ダッドリー)やライノら旧ECW勢がWWEを離脱したため、ECWに在籍したことのない選手の試合が多く組まれた結果、ECW復活のイメージが希薄になるなど、前年とはかなり印象の異なる大会となった。 2006年に入り、その根強いECW人気を受けてWWEは『RAW』『スマックダウン』に次ぐ第3のブランドとして『ECW』の復活を決定した。ブッカーにはポール・ヘイマンおよび現役を引退してWWEのブッカーとなっていたトミー・ドリーマーが就任することとなった。 しかし、WWEが復活させたECWは、かつてのEC "Fuckin'" W(放送禁止用語のため、オフィシャルTシャツなどの表記はEC "F'N" W)とは似て非なるものであり、保護者団体の圧力により以前のようなハードコア・レスリングを行うことができないでいた。また、シェーン・ダグラス、ダッドリー・ボーイズ、レイヴェンなど、ECWの象徴ともいえるレスラーが当時はTNAに所属しており、WWEに出場できなかったことも違和感に拍車をかけ、視聴率の面でも苦戦を強いられることとなった。 WWEもテコ入れ策としてレネ・デュプリーをRAWから移籍させたり、ケビン・ソーンを新たに登場させたりしたが、テコ入れすればするほどにEC "Fuckin'" Wから遠ざかってしまっていた。 2006年末、ポール・ヘイマンがWWEから解雇される。その当時はECW世界ヘビー級王座に新鋭のボビー・ラシュリーが就き、ハードコア・ホーリーやロブ・ヴァン・ダムなどがそれを追う展開となった。また、サンドマンやサブゥー、ボールズ・マホーニーなど、かつてECWに在籍していた者たちをECWオリジナルズと位置づけ、ビンス・マクマホンが彼らを露骨に嫌い、イライジャ・バークら若手(ニュー・ブリード)を送り込んで抗争に発展するというストーリーが組まれた。
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