甲斐路
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甲斐路(かいじ)は、律令制下における古代官道。東海道の支路で、東海道から分岐し富士北麓を経て御坂峠を越えて甲府盆地に入り、甲斐国府に至る。別称は御坂路(みさか-)。
- ^ 『延喜式』同条は『山梨県史 史料編3 古代文献・文字史料』、『古代の交易と道』に収録。
- ^ a b c d e f g h 末木(2000)、p.275
- ^ a b c d 『山梨県の地名』、p.450
- ^ 末木(2000)、p.276
- ^ a b 磯貝正義「甲斐の御坂-甲斐の古駅路再論」(『甲斐史学』3号、1958年)
- ^ 『山梨県の地名』、p.137
- ^ 『鎌倉街道上道』埼玉県教育委員会
- ^ a b 秋山(2000・①)、p.317
- ^ 秋山(2000・①)、pp.317 - 318
- ^ 秋山(2000・①)、p.318
- ^ a b 秋山(2000・②)、p.322
- ^ 秋山(2000・②)、p.323
- ^ 秋山(2000・②)、p.325
- ^ a b c d e f g h 『山梨県の地名』、p.45
- ^ 海老沼(2008)、p.73、「東国陣道記」『山梨県史 史料編6 中世3下(県外記録)』
- ^ 『山梨県史 資料編6 中世3下 県外記録』、p.758
- ^ 海老沼真治「群馬県安中市 真下家文書の紹介と若干の考察-武田氏・山本氏関係文書-」(『山梨県立博物館 研究紀要』3号、2009年)
黒駒関
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ウィキソースに真下家所蔵文書の原文があります。 黒駒関は八代郡黒駒(笛吹市御坂町黒駒)に位置する関所。御坂峠を越え国中地方と郡内の境界に位置する関所で、富士信仰の高まりとともに富士山に向かう旅人から通行料などを徴収したと考えられている。戦国時代には武田信玄がここの関銭10貫文を富士山中宮浅間社の修繕のために寄進している。『真下家所蔵文書』によれば、天文17年(1548年)4月には武田家の足軽大将・山本菅助(勘助)が関銭100貫を宛行われている。 江戸時代には関所自体は廃止されたものの、代わりとして口留番所が設けられ、通行人の監視などが行われていた。
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