鹿島史観
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鹿島が展開した独自の史観の例としては以下のようなものがある 『日本書紀』に書かれていることは古代朝鮮史の出来事の焼き直し 「明治維新で、天皇は北朝から南朝に変わった」 「孝明天皇は、伊藤博文が刺殺した」 富士古文書のウガヤ朝51代・月夜見命の家系歴代・須佐之男命の家系歴代は、それぞれ『桓檀古記』の檀君48代「馬韓世家」「番韓世家」の焼き直し 「古事記の猿田彦は、『ラーマーヤナ』の猿の大群のこと」 「邪馬壱国は、百済と共同した公孫氏の九州における植民地だった」 「新羅が、九州の倭国と大和の秦王国を合わせて日本国を建国した」 『桓檀古記』の檀君48代「馬韓世家」「番韓世家」は、それぞれ『史記』の「趙世家」「魏世家」「韓世家」の焼き直し 中国の『史記』は古代オリエント史の焼き直し 「メキシコのマヤ文明が倭人の遺産であること」 「秦の始皇帝は、バクトリア王ディオドトス、兵馬俑はペルシャ軍団」 「旧約聖書はバビロン神話の焼き直し」 「魯世家」「宋世家」は、それぞれ「旧約聖書のイスラエル北王国史とユダ王国史の焼き直し、『斉とエジプト』、「趙世家」はカッシート、バクトリアの歴史、「魏世家」はヒッタイト、キンメリアの歴史、「韓世家」はエラム、バビロニアの歴史。趙魏韓はアケメネス朝ペルシアのバクトリア州・ソグド州・サカ州でもある。
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