鬼に金棒
金砕棒
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金砕棒(かなさいぼう)は、日本の打棒系武器の一種。南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは櫟(イチイ)、栗、樫などの硬い木を1.4 - 2メートル程度[1]の八角棒に整形したものに「星[要曖昧さ回避]」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが(画像-1)、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した拵え(こしらえ)となり(画像-2)、さらに後世に完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製へと移行)となった(画像-2、画像-3)。
- ^ 『太平記』八巻(14世紀成立)に、「八尺余りの金砕棒の八角なるを」という記述が見られる。
- ^ a b c d e f 戸田藤成. 武器と防具 日本編. 新紀元社
- ^ 山形市最上義光歴史館 長谷堂合戦図屏風
- ^ 義光本人は怪力の人物としても知られている。
- ^ 日本の武器と武芸. 別冊宝島
- ^ a b 騎兵と歩兵の中世史. 吉川弘文館
- ^ a b 得能一男. 日本刀図鑑 保存版. 光芸出版
- ^ 笹間良彦. イラストで時代考証2 日本軍装図鑑 上. 雄山閣
- ^ 日本刀が語る歴史と文化. 雄山閣
- ^ 鈴木眞哉. 刀と首取り. 平凡社
- ^ 「さい」の漢字は原文ママであり、砕ではない。
- ^ 鈴木棠三・広田栄太郎編『故事ことわざ辞典』(東京堂出版、1968年)p.158.
- ^ 『広辞苑』での表記は、「金砕棒」ではなく、「金撮棒」の方である。
- ^ 網野善彦 『東と西の語る 日本の歴史』 講談社学術文庫 (第1刷1998年)10刷2001年 ISBN 4-06-159343-9 p.256.
- ^ a b 同『東と西の語る 日本の歴史』 p.256.
- ^ a b 同『東と西の語る 日本の歴史』 p.258.
鬼に金棒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 22:04 UTC 版)
日本の諺(ことわざ)「鬼に金棒(おに に かなぼう)」で知られる通俗的イメージの鬼が持つ金棒は、金砕棒を元にしたものであり、15世紀末前後成立の『鴉鷺合戦物語』に、「鬼に金撮棒成べし」との記述があり、中世軍記物に明記されている。『鴉鷺物語』の記述からも、15世紀時点では、まだ略されておらず、砕の字も統一されていないことがわかる。諺としての「鬼に金棒」の初見は、『毛吹草』(1645年刊)であり(鈴木棠三 広田栄太郎 編 『故事ことわざ辞典』 東京堂出版 1968年(初版1956年) p.158)、似た諺として、「鬼に鉄杖(てつじょう)」がある(同書 p.158)。 一般的に全鉄製で棘(とげ)が付いているが、先述のとおり、この棘は八角棒に鉄板を貼り付けていた際の固定用の鋲からの発展と思われる。 鬼と金砕棒に関する話としては、『小田原北条記』巻八「鬼に出会った朝比奈弥太郎」に記述が見られる。天正10年(1582年)のこととして、日金堂のふもとに、色黒で筋肉たくましく6 - 7尺(約2メートル)はある、男とも法師とも山伏とも見えない風体のものが立っていて、髪は剃っていたが、僧の姿はしておらず、鉄尖棒(かなさいぼう)とみられるものを肩にかついでいた。その異形の者は朝比奈一行に、自分は無害な存在だが、後から来る女に待っているから早く来いと言伝を頼む。その後、出会った女に伝えると、しばらくして女の悲鳴が聞こえ、行ってみると、葬儀の最中であり、色々説明を聞き、女が霊魂であり、日金の辺りに地獄があり、異形のものは鬼であったのだろうという結論に至った。
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