加藤隼戦闘隊
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加藤隼戦闘隊(かとうはやぶさせんとうたい、旧字体: 加藤󠄁隼戰鬪隊󠄁)とは、大東亜戦争初期に活躍した加藤建夫陸軍中佐(戦死後、陸軍少将)率いる大日本帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊(飛行第六十四戦隊。軍隊符号は64FRないし64F、最終時の通称号は高九一二四部隊)の愛称。
注釈
- ^ 「隼」の最高速度では補足できないが、航続力を生かして相手からほとんど視認できない距離でこれを追尾、モスキートが残燃料の関係で巡航速度に落としたところ、漸く追いつき死角から接近して撃墜する「送り狼作戦」で仕留めている。
- ^ 加藤はこの「隼」の性能向上に大変意欲的であり、既存の無線機(無線電話)や防弾装備を重要視していた。
- ^ 映画の本来の主題歌は「隊長殿のお言葉に」(作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄。歌:灰田勝彦、小畑実など)であり、「加藤隼戦闘隊」はB面に収録された挿入歌である。これはレコードに添付の文句紙(歌詞カード)の記載と順番により明らかであるが、劇中では「加藤隼戦闘隊」が多用されている。
- ^ 灰田は映画の中ではパレンバンに降下する落下傘部隊の隊長役で出演している。
出典
- ^ “在満部隊通称号表”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121108800、在満部隊通称号表 昭和20年10月1日(防衛省防衛研究所). 2018年2月6日閲覧。
- ^ 梅本 (2010a), p.8
- ^ 高城肇 「丸メカニック45号(隼・飛燕)」 潮書房 p.35
- ^ 梅本 (2010a), pp.8-9
- ^ 梅本 (2010a), p.11
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- ^ 梅本 (2010a), p.13
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- ^ a b 田中 1972, p. 230.
- ^ 田中 1972, pp. 231–233.
- ^ a b c 粕谷俊夫「加藤隼戦闘隊の最後」二見書房、1960年、p.22
- ^ 田中 1972, p. 233.
- ^ a b 田中 1972, p. 234.
- ^ 黒江保彦「隼戦闘機隊-かえらざる撃墜王-」光人社 P.1 高木俊郎の回想
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