風の神として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)
『日本書紀』の持統天皇5年(681年)8月の条に、「使者を遣わして、龍田風神、信濃の須波・水内等の神を祭らしむ」とあり、諏訪の神は奈良時代以前に既に朝廷に風の神・水の神として崇敬されていたことが分かる。その影響か、平安時代に入ると諏訪には風鎮めを祈願した「風の祝(ほうり)」がいるという流説が広まった。 諏訪地方には古くから、暴風を凪ぎる(鎮める)ために鎌を竿の先に結びつけて風の方向に立てる習慣があるが、このために使われる鉄製の薙鎌(なぎかま)は諏訪明神の御神体ないし御神幣とみなされる場合もある。薙鎌は蛇(龍)または鳥にも見える形をしているが、これは五行思想では金気(鳥=酉は金気)が木気(風)に勝つもの(金剋木)と考えられていたからである。 御柱祭関連の祭事にも薙鎌が用いられる。上社の方では、御柱用材を正式に見立てる際には薙鎌が木に打ち付けられる。一方、御柱祭の前年に北安曇郡小谷村にある大宮諏訪神社には下社神職(明治時代までは下社大祝)が「薙鎌祭」を行い、1枚の薙鎌を奉納する。この翌日、信越国境にある戸土諏訪神社の杉の神木に薙鎌を打ち付ける神事が行われる。上社里曳きの初日に御柱を迎える神輿にも薙鎌が2枚あり、かつては上社造営(社殿の建て替え)の時に新築の宝殿にも打ち付けられた。 『画詞』には「薙鎌、衆魔催伏の利剣なり」とあるように、薙鎌には諸悪(台風・土砂災害など)を抑え付ける効力があると信じられ、以上のように木や建物を守る魔除けとして使用された。このほかに、諏訪大社の分社を行う際、御霊代として薙鎌が分与されることもある。
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