非公式女子サッカー世界王者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:12 UTC 版)
「非公式サッカー世界王者」の記事における「非公式女子サッカー世界王者」の解説
女子サッカーの非公式世界王者 (英: Womens Unofficial Football World Championships, WUFWC) の歴史 は男子よりも100年程新しく、1971年にフランスがアーズブルックにオランダを迎えて行われ、4-0で勝利した試合を皮切りに始まった。この王座はスイス、オランダ、イングランドを短い間に経由し、1975年から1984年の間はスカンジナビアのスウェーデン、デンマーク、ノルウェーが占めた。 1984年、第1回UEFA欧州女子選手権が開催され、王者スウェーデンは順当に王位を維持し駒を進め、ホーム・アンド・アウェーで行われる決勝を1-0の1勝1敗で分けたためPK戦で決着をつけ選手権を勝利したが、2戦目のアウェーでは敗れたためにWUFWCはイングランドに移る奇妙な結果となった。その後西ドイツ、ベルギー、イタリアなども名を連ねながら王座はヨーロッパを巡ったが、1987年にアメリカがノルウェーに勝利し、WUFWCは世界を巡る時代へ突入した。 当初はアメリカとヨーロッパの国々が王座を奪い合ったが、1994年に中国がノルウェーに勝ってアジアに初のタイトルをもたらしたものの、5日後には失った。南アメリカはこれに遅れる1997年にブラジルが勝ち取った。タイトルはアメリカ州・ヨーロッパ・アジアを動き回り、2000年にはカナダ、2001年には北朝鮮が初めて王座を占めた。1991年から始まったFIFA女子ワールドカップには毎回WUFWCは持ち込まれた。その他にも王座は移動し、スコットランドやウクライナが王者になったこともあった。 2011年のFIFA女子ワールドカップ開幕前、当時の王者イングランドは5月23日にオーストラリアに敗れた。これはイギリスで報道されなかったため混乱を招いたが、FIFAとオーストラリアからの情報で確認された。本大会ではオーストラリアが保持していた王座をグループリーグでブラジルが奪い、準々決勝でアメリカに渡ったのち、7月17日の決勝戦で勝利した日本が得て、男女同時に王座を確保した8カ国目(のべ10カ国目)の代表となった。この時点で日本は女子ワールドカップ、男子AFCアジアカップ、女子東アジア選手権、女子アジア競技大会を含む6つのタイトルを保持することになった。 オランダ:1974年5月11日 - 5月31日 イングランド:1975年3月12日 - 6月15日 スウェーデン:1989年5月7日 - 6月14日 オランダ:1991年5月28日 - 6月12日 アメリカ合衆国:1992年6月2日 - 6月13日 ドイツ:1997年10月9日 - 10月12日 ブラジル:1998年3月25日 - 4月29日 ブラジル:1998年7月7日 - 7月12日 イタリア:2007年3月28日 - 4月6日 日本:2011年7月17日 - 11月15日 ドイツ:2014年7月13日 - 9月3日
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