青函航路引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 22:57 UTC 版)
かねてより、大阪商船が大阪 - 小松島間航路で使用するため、比羅夫丸の賃借を申し出ており、鉄道省は函館港引き渡しで賃貸し、1924年(大正13年)11月14日、函館を出港した。1929年 (昭和4年)5月30日には鉄道省は雑種財産に編入し、同年7月8日、大阪港引き渡しで大阪商船に売却した。1931年(昭和6年)12月29日には大阪商船が同航路を摂陽商船に譲渡し、これに伴い同船も同社に売却され、1934年(昭和9年)9月、第1次船舶改善助成施設によりスクラップ・アンド・ビルドで解体され山水丸になった。
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