開局までの背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 05:22 UTC 版)
「おおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク」の記事における「開局までの背景」の解説
大隅半島の地域メディアは、ペーパーメディアの夕刊紙の南九州新聞や月刊のフリーペーパーが数種あるが、県域局や県紙の南日本新聞は鹿児島県の3分の1の人口を占める鹿児島市や薩摩半島の情報を重点的に伝えていた(大隅半島から鹿児島市までは陸路・フェリーで2時間以上かかり、日常的な商圏とはいえないし、朝刊の配達も鹿児島市など都心部から見て数時間、場所によっては昼前後の配達になってしまう)。前述の南九州新聞の公称部数は5000部程度で地元で広く親しまれているとは言いがたく、地元密着のメディアはほとんど無いと言っていい状況であった。 また、2003年にはAMラジオの南日本放送が鹿屋中継局廃止を決定。大隅半島にはAMラジオの中継局が一切なくなり難聴取地域(特に夜間)が発生した。FMかのや・きもつき開局日にはアマチュア無線家がこのことを批判しており、前述の事項と合わせて地元では県域局の大隅半島軽視指向と捉える見方がある。 このため、過去にも鹿屋や志布志でコミュニティFMの設立構想が幾度かもち上がったものの、主として財政面の見通しが立たないなどの理由からいずれも立ち消えとなっていた。 NPO形式で開局した理由は、コミュニティ・ラジオとしての特性(上述の定義参照)を最大限に発揮できる組織となりうるから、というもの。いわば地域住民がオーナーの地域公共財としての放送局を目指したからである。また株式会社にした場合、収益が見込めず配当できる可能性はほとんどないとの判断からでもあった。 最も人口の多い鹿屋市でも10万人程度であり、3局のある市町の人口を単純に合計しても15万人程度である。ちなみに、南九州地区の他コミュニティFM局のうち、県庁所在地にないシティエフエム都城のある宮崎県都城市の人口は約17万人で、第三セクター形式の放送局である。 土地柄第一次産業が盛んな地域であり、所得水準も全国平均を下回っている。このことから株式会社で立ち上げても採算が取れなくなること。 当初は自治体が積極的でなく、FMかのやが鹿屋市と防災協定を締結したのは開局2か月後のことであった。 自治体に関しては開局後は積極的に関与しつつあり、2007年1月からの「おおすみおはようラジオ!」内での市政情報の提供、リナシティかのや内情報プラザにFMかのやの利用も想定したサテライトスタジオの設置、などが例として挙げられる。また、2008年度から鹿児島県大隅地域振興局と鹿屋市、志布志市、垂水市、肝付町が合同で、おおすみFMネットワークエリアの難聴取地域解消を目的に、中継局や新規開局の財政的支援に乗り出した。
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