開基以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:20 UTC 版)
応仁の乱後の戦国時代、天文年間から弘治年間(1532年 – 1558年)にかけて、兵乱により大破し、寛文年間(1624年 – 1644年)に再建されたとの伝えがある。阿蘇家の古文書には「天文19年(1550年)12月8日阿蘇惟豊は益城郡内の守山のうち、摂取寺3町を宛てがっている」との記述がある。また、一切経(黄檗版大蔵経(鉄眼版))で知られる黄檗宗の禅僧・鉄眼道光の事を記した「鉄眼禅師行実」には、鉄眼は、寛永19年(1642年)の13歳の時より17歳まで、摂取寺の海雲和尚について仏教の勉強をした、とある。 以上のことより、准誉による開基以前より、何らかの形で僧職が宗教活動を行なっていたことがわかる。それらの活動を含めると、寺院の歴史は少なくとも500年以上に及ぶと言われている。
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