長岡工業専門学校時代
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「長岡高等工業学校」の記事における「長岡工業専門学校時代」の解説
1944年4月: 長岡工業専門学校と改称 (3月28日付勅令第165号)。本科学科を改組: 機械科 (甲組:旧機械工学科、乙組:旧精密機械科、丙組:旧工作機械科)・電気科(旧電気工学科)・化学工業科(旧応用化学科)。 1945年10月: 寄宿舎 「悠久寮」 開寮。 1946年4月: 本科 機械科(乙組) が機械科精密機械分科となる。 1947年5月: 新潟医大学士会理事会、総合大学設置を討議。 1947年6月: 26日、新潟市議会、総合大学設置期成会設立建議を可決。28日、新潟医大 橋本学長、NHK新潟放送で 「北日本大学構想」 について講演。 29日、北日本大学期成同盟会結成。 1948年6月: 文部大臣に 「新潟大学」 設置認可を申請。 1949年2月: 旧附設科学工業博物館が積雪科学館となる。財団法人積雪研究会の附属機関となった (1968年閉館)。 1949年5月31日: 新制新潟大学発足。旧制長岡工専は工学部 (機械工学科・精密機械工学科・電気工学科・工業化学科) の母体として包括された。 1949年10月: 工専自治会、全学連から脱退。自主性を欠き非民主的、と全学連を批判。 1951年3月: 旧制長岡工業専門学校、廃止。
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