鉄心快牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:59 UTC 版)
中興開山である鉄心快牛は、寛永8年(1631年)に死去した蘆名義勝の葬礼の導師を務めたあと、本寺である会津天寧寺、さらには関東在三か寺(関三刹)の一である下野国下都賀郡の大中寺へと昇任したが、晩年は不遇となって故郷へ戻り、秋田領平鹿郡赤坂村(現横手市)の安養院で91歳の生涯を閉じている。鉄心は新天流槍術の奥旨を編集したことでも知られ、この流派は横手の武芸家上遠野家に伝えられた。
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