追討軍の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 04:10 UTC 版)
頼朝挙兵の報は、9月1日(9月21日)に大庭景親より福原へもたらされた。5日(25日)に平清盛は追討軍を関東へ派遣することを決定する。 追討軍の編成は遅々として進まず、平維盛、忠度、知度らによる追討軍が福原を出立したのは22日(10月12日)であった。京に入っても総大将の維盛と次将(参謀役)の藤原忠清が吉日を選ぶ選ばぬで悶着があり、京を発したのは29日(10月19日)になってしまった。 平家方が時間を空費している間に頼朝は関東で勢力を回復し、甲斐国では甲斐源氏が、信濃国では源義仲が挙兵した。 追討軍は進軍しながら諸国の「駆武者」をかき集めたことで7万騎(『平家物語』)の大軍となるが、所詮は寄せ集めであり、折からの西国の大飢饉で兵糧の調達に苦しみ、士気は非常に低かった。
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