追善のための架橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:22 UTC 版)
「旧相模川橋脚」を参照 出家した夫の重成はその後、相模川近くに寺堂を建て、念仏を唱える日々を過ごしていた。そこで、相模川渡船で多くの落命者がいることを見て、妻である女房の追善のため、源頼朝の許可を得て独力で橋を架けたという。この橋の落成供養に臨んだ頼朝は落馬してのちに落命したといい、またこの橋の橋脚7本が、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって姿を現した。
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