起源~後期チャールキヤ朝の封臣(諸侯)時代
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始祖とされるヌリパ・カーマはマイソール地方・西ガーツ山脈に住む山間部族の一首長であったと考えられている。11世紀に平野部に進出し、マイソール地方に侵入してきたチョーラ朝との戦闘では、西ガンガ朝と後期チャールキヤ朝を助け、後者の封臣(諸侯)となった。 ヌリパ・カーマの息子ヴィナヤーディティヤも後期チャールキヤ朝に仕え、カーヴェーリ川上流のマイソールの北西100kmのドーラサムドラを本拠として勢力を伸ばした。 ヴィナヤーディティヤの孫に当たるヴィシュヌヴァルダナのとき、強力な王であった後期チャールキヤ朝のヴィクラマーディティヤ6世が亡くなると、後期チャールキヤ朝の王位継承争いは激しくなって、ホイサラ家の力はますます強大となり、事実上の独立行動に出るようになった。その力はチョーラ朝からマイソールの東方のタラカードを奪い、チャールキヤ朝の地も併合を試みたほどだった。 また、ヴィシュヌヴァルダナは著名な宗教哲学者であったラーマーヌジャに師事してヴィシュヌ派に改宗し、首都にホイサレシューヴァラ寺院などを建設している。
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