譜代家老衆とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

譜代家老衆とは? わかりやすく解説

譜代家老衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)

武田信玄」の記事における「譜代家老衆」の解説

基本的に甲斐一国当時から武田家仕えていた家を中心とした家臣団合議の場に列する資格意味する家格であった考えられており、軍事面領国支配において重視された。文書においては家老」「宿老」の用語が見られるが、多く用いられていない。 「惣人数」には親族衆の次に配置され馬場信春内藤昌秀山県昌景高坂昌信春日虎綱)、小山田信茂郡内小山田)、甘利信忠栗原詮冬、今福友清土屋昌続秋山虎繁原昌胤加賀守隼人祐系)、小山田虎満石田小山田)、跡部勝資大炊助系)、浅利信種駒井昌直小宮山昌友、跡部勝忠美作守系)の17名を挙げている。ただしこれらの譜代家老同時に存在したわけではなかったと見られている。 特徴として、まず一族普代氏族一族普代でない氏族区分される一族普代では馬場内藤山県甘利栗原今福土屋秋山浅利駒井一族譜代でない氏族郡内小山田石田小山田跡部大炊助美作守系)、春日、原、小宮山がいる。また、多く譜代家老出自であるが、嫡男ではなく次男以下の出自を持つ点も特徴とされる。ただし、今福浄閑斎三枝昌貞小山田信茂など一部例外見られる武田家の譜代家老衆は時代によって謀反粛清戦死などにより入れ替わり存在し御一門衆同様に信虎までに登用されグループと、信玄新たに登用しグループ区分される。信昌から信縄・信虎時代側近奉行として当主支えた浦、河村工藤秋山小田切曽根駒井板垣などの氏族がいるが、帆、河村工藤秋山の四氏は当主取次務めていた。信玄の代になるとまず浦、河村消え続いて工藤秋山小田切姿を消し、後に譜代家老地位離れて奉行衆として登場する対して曽根板垣駒井信虎から信玄初期にかけて重用されている。 信玄信虎の代の譜代家老のうち甘利郡内小山田栗原駒井、原(加賀守隼人祐系)、小宮山氏重用しているが、信玄の代には数次にわたる譜代家老粛清行われている。信玄新たに山田内藤春日馬場土屋石田小山田跡部大炊助美作守系)、秋山今福などを登用し山県昌景内藤昌秀らが活動をはじめる弘治永禄年間には「惣人代」に記載される人名に至る。信玄登用し譜代家老多く甲斐衆で身分低く百姓出身春日虎綱高坂昌信)など、多様な出自人物を含む。跡部氏信濃出自を持つ氏族であるが甲斐衆として扱われていたと考えられており、他国から来た家臣譜代家老から排斥されていた。逆に甲州領地持っていながら譜代扱われていない例もある。4. その他の項を参照。 『甲陽軍鑑』に拠れば武田家譜代家老小姓奥近習から御使番経て侍大将城代となり、最終的に譜代家老取り立てられたという。武田氏信玄の代に領国拡大すると、譜代家老各地拠点城郭配置され城代武田氏では「郡司」と呼称される)として領域支配担った武田家の城代としては信濃国海津城春日虎綱信濃国牧之島城馬場信春信濃国内山城小山田虎満上野国箕輪城内藤昌秀上野国松井田城小宮山虎高、美濃国岩村城秋山虎繁駿河国江尻城山県昌景駿河国深沢城駒井昌直駿河国久能城今福浄閑斎、らがいる。武田家の城代御一門衆異なり領域支配担っていた点が特徴であると指摘される城代寄親・寄子制により他国衆を相備衆として編成した。 譜代家老衆の中で小山田信茂郡内領を有する国衆であり、特異な立場にいたことが指摘される後代称され武田二十四将には譜代家老家臣多く含まれる

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譜代家老衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:41 UTC 版)

武田信玄の家臣団」の記事における「譜代家老衆」の解説

武田家甲斐一国当時から武田家仕えていた家を中心とした家臣団合議の場に列する資格意味する家格であった考えられており、軍事面領国支配において重視された。文書においては家老」「宿老」の用語が見られるが、多く用いられていない。 「惣人数」には親族衆の次に配置される馬場信春民部少輔美濃守教来石氏出身内藤昌秀修理亮大和守、工藤氏出身上野国箕輪城代、西上郡司山県昌景飯富氏出身三郎右兵衛尉駿河国江尻城代) 高坂昌信春日虎綱弾正忠信濃国海津城代、川中島郡司小山田信茂郡内小山田氏左兵衛尉出羽守岩殿山城甘利信忠左衛門尉栗原詮冬(栗原氏) 今福友清(長関斎、石見守駿河国久能城代) 土屋昌続右衛門尉金丸氏出身秋山虎繁 (信濃国大島城美濃国岩村城代、伯耆守) 原昌胤隼人祐、富士大宮郡司小山田虎満石田小山田氏跡部勝資大炊助尾張守浅利信種初代上野国箕輪城代) 駒井昌直右京亮右京進小宮山昌友(小宮山氏丹後守) 跡部勝忠勘定奉行美作守、越中守) 以上、17名を挙げている。 一族普代では馬場氏内藤氏山県氏甘利氏栗原氏今福氏土屋氏秋山氏浅利氏駒井氏一族譜代でない氏族郡内小山田氏石田小山田氏跡部氏高坂氏(春日氏)、原氏小宮山氏がいる。 飯富虎昌兵部少輔信濃国塩田城代) 室住虎光 多く譜代家老出自であるが、嫡男ではなく次男以下の出自を持つ点も特徴とされる武田信玄比較出自問わず用いた為、今福浄閑斎三枝昌貞小山田信茂などの例外見られる

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