譜代家老衆
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基本的には甲斐一国当時から武田家に仕えていた家を中心とした家臣団。合議の場に列する資格を意味する家格であったと考えられており、軍事面・領国支配において重視された。文書においては「家老」「宿老」の用語が見られるが、多くは用いられていない。 「惣人数」には親族衆の次に配置され、馬場信春、内藤昌秀、山県昌景、高坂昌信(春日虎綱)、小山田信茂(郡内小山田)、甘利信忠、栗原詮冬、今福友清、土屋昌続、秋山虎繁、原昌胤(加賀守・隼人祐系)、小山田虎満(石田小山田)、跡部勝資(大炊助系)、浅利信種、駒井昌直、小宮山昌友、跡部勝忠(美作守系)の17名を挙げている。ただしこれらの譜代家老は同時に存在したわけではなかったと見られている。 特徴として、まず一族普代の氏族と一族普代でない氏族に区分される。一族普代では馬場、内藤、山県、甘利、栗原、今福、土屋、秋山、浅利、駒井、一族譜代でない氏族は郡内小山田、石田小山田、跡部(大炊助・美作守系)、春日、原、小宮山がいる。また、多くは譜代家老の出自であるが、嫡男ではなく次男以下の出自を持つ点も特徴とされる。ただし、今福浄閑斎、三枝昌貞、小山田信茂など一部の例外は見られる。 武田家の譜代家老衆は時代によって謀反や粛清、戦死などにより入れ替わりが存在し、御一門衆と同様に信虎までに登用されたグループと、信玄が新たに登用したグループに区分される。信昌から信縄・信虎の時代に側近・奉行として当主を支えた楠浦、河村、工藤、秋山、小田切、曽根、駒井、板垣などの氏族がいるが、帆、河村、工藤、秋山の四氏は当主の取次を務めていた。信玄の代になるとまず楠浦、河村が消え、続いて工藤、秋山、小田切も姿を消し、後に譜代家老の地位を離れて奉行衆として登場する。対して曽根、板垣、駒井は信虎から信玄初期にかけて重用されている。 信玄は信虎の代の譜代家老のうち甘利、郡内小山田、栗原、駒井、原(加賀守・隼人祐系)、小宮山氏を重用しているが、信玄の代には数次にわたる譜代家老の粛清も行われている。信玄は新たに山田、内藤、春日、馬場、土屋、石田小山田、跡部(大炊助・美作守系)、秋山、今福などを登用し、山県昌景・内藤昌秀らが活動をはじめる弘治・永禄年間には「惣人代」に記載される人名に至る。信玄が登用した譜代家老の多くは甲斐衆で身分が低く、百姓出身の春日虎綱(高坂昌信)など、多様な出自の人物を含む。跡部氏は信濃に出自を持つ氏族であるが甲斐衆として扱われていたと考えられており、他国から来た家臣は譜代家老から排斥されていた。逆に甲州に領地を持っていながら譜代と扱われていない例もある。4. その他の項を参照。 『甲陽軍鑑』に拠れば、武田家の譜代家老は小姓・奥近習から御使番を経て侍大将・城代となり、最終的に譜代家老に取り立てられたという。武田氏が信玄の代に領国を拡大すると、譜代家老は各地の拠点城郭に配置され、城代(武田氏では「郡司」と呼称される)として領域支配を担った。武田家の城代としては信濃国海津城の春日虎綱、信濃国牧之島城の馬場信春、信濃国内山城の小山田虎満、上野国箕輪城の内藤昌秀、上野国松井田城の小宮山虎高、美濃国岩村城の秋山虎繁、駿河国江尻城の山県昌景、駿河国深沢城の駒井昌直、駿河国久能城の今福浄閑斎、らがいる。武田家の城代は御一門衆と異なり領域支配を担っていた点が特徴であると指摘される。城代は寄親・寄子制により他国衆を相備衆として編成した。 譜代家老衆の中で小山田信茂は郡内領を有する国衆であり、特異な立場にいたことが指摘される。 後代に称された武田二十四将には譜代家老の家臣が多く含まれる。
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譜代家老衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:41 UTC 版)
武田家が甲斐一国当時から武田家に仕えていた家を中心とした家臣団。合議の場に列する資格を意味する家格であったと考えられており、軍事面・領国支配において重視された。文書においては「家老」「宿老」の用語が見られるが、多くは用いられていない。 「惣人数」には親族衆の次に配置される。 馬場信春(民部少輔、美濃守、教来石氏出身) 内藤昌秀(修理亮、大和守、工藤氏出身、上野国箕輪城代、西上野郡司) 山県昌景(飯富氏出身、三郎右兵衛尉、駿河国江尻城代) 高坂昌信(春日虎綱、弾正忠、信濃国海津城代、川中島郡司) 小山田信茂(郡内小山田氏、左兵衛尉、出羽守、岩殿山城) 甘利信忠(左衛門尉) 栗原詮冬(栗原氏) 今福友清(長関斎、石見守、駿河国久能城代) 土屋昌続(右衛門尉、金丸氏出身) 秋山虎繁 (信濃国大島城、美濃国岩村城代、伯耆守) 原昌胤(隼人祐、富士大宮郡司) 小山田虎満(石田小山田氏) 跡部勝資(大炊助、尾張守) 浅利信種(初代上野国箕輪城代) 駒井昌直(右京亮、右京進) 小宮山昌友(小宮山氏、丹後守) 跡部勝忠(勘定奉行、美作守、越中守) 以上、17名を挙げている。 一族普代では馬場氏、内藤氏、山県氏、甘利氏、栗原氏、今福氏、土屋氏、秋山氏、浅利氏、駒井氏。 一族譜代でない氏族は郡内小山田氏、石田小山田氏、跡部氏、高坂氏(春日氏)、原氏、小宮山氏がいる。 飯富虎昌(兵部少輔、信濃国塩田城代) 室住虎光 多くは譜代家老の出自であるが、嫡男ではなく次男以下の出自を持つ点も特徴とされる。武田信玄は比較的出自を問わずに用いた為、今福浄閑斎、三枝昌貞、小山田信茂などの例外が見られる。
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