諸記録
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「カルロス・ザンブラーノ」の記事における「諸記録」の解説
2005年8月7日のメッツ戦で先発し、相手の先発投手ビクター・ザンブラーノと投げ合った。この時点で両者ともMLB通算勝利数は42勝だった。同姓かつ通算勝利数が同じ投手が先発として投げ合うのは、Elias Sports Bureau によれば1944年6月15日以来61年ぶり史上2度目の出来事である。両者はベネズエラ出身という点でも共通している。 2008年9月14日のアストロズ戦でノーヒッターを達成した。この試合は当初はアストロズの本拠地球場ミニッツメイド・パークで開催される予定だったが、ハリケーン・アイクがテキサス州に上陸し、同球場があるヒューストンも損害を受けたため予定を変更、ブルワーズの本拠地であるウィスコンシン州ミルウォーキーのミラー・パークで行われた。試合する2チームのどちらの本拠地でもない中立地でノーヒッターが達成されたのは、Elias Sports Bureau によると史上初である。
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諸記録
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連続シーズン30二塁打:13年(歴代2位、2005年 - 2017年)※スタン・ミュージアルの16年に次ぐ 2011年8月25日のオークランド・アスレチックス戦で記録された、MLB史上初の1試合1チーム3満塁本塁打の一員となっている。カノは5回裏に1本目の満塁本塁打を放った。カノに続いて、6回裏にラッセル・マーティン、8回裏にカーティス・グランダーソンが満塁本塁打を放ち、記録が樹立された。
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諸記録
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メジャー通算424セーブは、2007年終了時点でメジャーリーグ歴代4位である。通算登板1119はジェシー・オロスコ(1251試合)、マイク・スタントン(2007年までに1178試合)に次いで第3位だが、フランコは先発登板がなく、「1試合も先発登板のない投手」に限れば歴代1位である(オロスコは4試合、スタントンは1試合に先発登板がある)。交代完了774はメジャー歴代2位。キャリアが一貫してナ・リーグであったため、通算1119試合登板はナ・リーグ記録である。メッツで記録した登板695、セーブ276、交代完了484はいずれもメッツのチーム歴代記録。
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諸記録
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2010年のオールスターゲームで、9回裏一死一塁の場面で打席に立ったバックは、ジョナサン・ブロクストンから右前に落ちる打球を放った。しかしこの打球は右翼手マーロン・バードが直接捕球できるかどうか微妙な当たりだったため、一塁走者デビッド・オルティーズのスタートが遅れ、オルティーズは二塁封殺、結果的にバックの打席はライトゴロとなった。オールスターで一塁走者二塁封殺のライトゴロが記録されたのは、1957年以来53年ぶりのことである。 2007年4月2日の対レッドソックス戦で岡島秀樹の投じた初球をホームランにした。この試合は岡島にとってMLB初登板であり、バックは初めて対戦する打者であった。その結果、岡島はメジャー史上7人目となるメジャー初登板の初球をホームランにされた投手となった。
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諸記録
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「トロイ・トゥロウィツキー」の記事における「諸記録」の解説
トゥロウィツキーは過去、2007年4月29日のアトランタ・ブレーブス戦で無補殺三重殺を、2009年8月10日のシカゴ・カブス戦でサイクル安打を、それぞれ達成している。両方とも経験しているのは、ジョン・バレンティンに次いでMLB史上2人目である。
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諸記録
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「カーティス・グランダーソン」の記事における「諸記録」の解説
オークランド・アスレチックス戦で記録されたメジャーリーグ史上初の1球団による1試合3満塁本塁打の一員となった。5回裏にロビンソン・カノ、6回裏にラッセル・マーティンが満塁本塁打を放ったのに続いて、8回裏にグランダーソンが満塁本塁打を放ち、記録が樹立された。(2011年8月25日) 1週間で異なる球団で満塁本塁打(2017年8月17日・8月21日)。
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諸記録
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「ジェイソン・イズリングハウゼン」の記事における「諸記録」の解説
ニューヨーク・メッツ在籍時の1996年5月29日、ジャイアンツの投手ウィリアム・ヴァン・ランディングハム(William Van Landingham)と先発で投げ合った。2チームの先発投手の名前の合計文字数はメジャー史上最長タイ記録だった。 2002年4月13日、アストロズ戦の9回に登板。ダリル・ウォード、ホセ・ビスカイーノ、フリオ・ルーゴを相手に「3者連続3球三振」を記録。MLB史上31人目(ナショナルリーグでは22人目)。試合は2-1でカージナルスが勝利した。 2006年6月13日、カージナルスでの通算161セーブ目を挙げ、リー・スミスを抜いて球団セーブ記録を更新した。
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諸記録
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MLB開幕戦での通算本塁打数:8本(フランク・ロビンソン、ケン・グリフィー・ジュニアとタイ記録) MLB2年間合計での歴代最低打率:.1845(2011年~2012年) 通算月間打率1割台記録回数:13回 シーズン160三振以上の回数:11回 シーズン170三振以上の回数:8回 シーズン180三振以上の回数:5回 シーズン190三振以上の回数:4回 MLB史上初の2年連続で安打数が三振数の半分以下(2011年~2012年) シーズン40本塁打以上の選手での歴代最低の打率、安打数、長打率、OPS(2012年) シーズン最多三振試合数:134試合(2012年) 開幕からの歴代最多連続試合三振記録:32試合連続(2012年) 連続試合三振記録:36試合連続(2011年~2012年)(野手では最多記録) 開幕戦での三振:13年連続(2002年~2014年) 通算2000三振:12年(歴代最速) シーズン最多三振記録:195個(2004年)※現在の1位はマーク・レイノルズの223個。その他、2012年にはアメリカンリーグ記録の222三振を記録した。 シーズン最多マルチ三振試合数:62(2004年)※現在の1位はマーク・レイノルズの66試合
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諸記録
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「リッキー・ヘンダーソン」の記事における「諸記録」の解説
MLB通算2295得点、1406盗塁、通算盗塁王12回はいずれも史上最多。1982年、アスレチックス在籍時に記録したシーズン130盗塁記録は未だ破られていない。一方、通算335盗塁死、シーズン42盗塁死の記録の持ち主でもある。彼が誰よりも走った選手であった事の裏返しであろう。ただ通算盗塁成功率は80%を超えており、これは非常に高い水準である。 かつて6度の盗塁王に輝いた実績を誇るモーリー・ウィルスは、「リッキーは偉大なスティーラー(盗塁を武器とする選手)に成り得るための理想的な気質を持っていた」とメンタルの重要性を説いている。「リッキーは確かに突出したスピードとクイックネス(初動の速さ、投球モーションを盗むスキル)を兼ね備えてはいた、しかし純粋なスピードだけなら彼よりも速い選手は沢山居ることもまた事実だ」と述べ、大きな重圧のかかる実戦でスタートを切るためには、何よりも勇気と覚悟が必要だと力説する。「失敗を恐れてはいけない、数千数万の大観衆、あるいはテレビ視聴者が見ている前で喜んで盗塁死するくらいの図太さ・図々しさが必要なんだ、彼はスピードとクイックネスを最大限有効活用するのに最適な気質を持ち合わせていたのさ」と結んでいる。 1試合最多盗塁は1989年7月29日のシアトル・マリナーズ戦で記録した5盗塁(投手:ランディ・ジョンソン)。1試合4盗塁は18回記録している。 1970年代・80年代・90年代・2000年代の4つの年代に渡って盗塁を記録した。4つの年代に渡って盗塁を記録したのは、リッキー・ヘンダーソン、ティム・レインズ、テッド・ウィリアムズの3人のみ。40歳を過ぎてもリーグトップクラスの盗塁数を維持し、40代でシーズン30盗塁以上を2回、20盗塁以上を3回記録している(いずれも史上唯一)。 通算先頭打者本塁打81本(25年連続で記録)も史上1位である。1993年には、ダブルヘッダーの両方の試合で先頭打者本塁打を打つという、1913年のハリー・フーパー以来の80年ぶりとなる記録も作った。 また、バリー・ボンズには破られたが、通算2190四球はMLB歴代2位の記録。ただし、ボンズの四球に敬遠が多く含まれており(2007年終了時点でボンズは2558四球のうち敬遠と記録されたものが688個、ヘンダーソンは2190四球のうちわずか61個)、対してヘンダーソンが中軸ではなく出塁させることが守備側にとって不利になる先頭打者であることを考慮に入れると、自力で奪い取った四球の数は実質的にトップだと言える。MLB通算での出塁率は4割を超えている。 盗塁の数字の突出度に関しては言うまでもないが、ベーブ・ルースの通算2062四球、タイ・カッブの通算2246得点と、2人の偉大な選手のMLB通算記録を塗り替えた。長らくアンタッチャブルであった記録を破ったことの意義は非常に大きい。
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諸記録
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「最優秀選手 (日本プロ野球)」の記事における「諸記録」の解説
最多回数選出打者:王貞治(9回、1964年、1965年、1967年、1969年、1970年、1973年、1974年、1976年、1977年) 最多回数選出投手:山田久志(3回、1976年-1978年) 最多連続年度選出者:3年・山田久志(1976年-1978年)、イチロー(1994年-1996年) セ・パ両リーグで選出:江夏豊(1979年広島、1981年日本ハム)、小笠原道大(2006年日本ハム、2007年巨人) レギュラーシーズン最高勝率(前後期時代の前期最高勝率、後期最高勝率含む)を逃した球団所属の新人選手の選出:木田勇(1980年)、野茂英雄(1990年)Bクラス球団所属の新人選手及び最高勝率球団所属の新人選手のパ・リーグMVP獲得は前例皆無。新人選手のセ・リーグMVP獲得も皆無。 最年少選出者:1リーグ時代では沢村栄治(20歳、1937年春)、2リーグ制後では稲尾和久(19歳、1957年)※開幕時の年齢 最年長選出者:門田博光(40歳、1988年) リーグMVPを獲得しながらベストナインを獲得できなかった例:1979年と1981年の江夏豊(2回)が最多。その他、1947年の若林忠志、1948年の山本一人(野手では唯一の例)、1958年の藤田元司、1968年の米田哲也、1978年の山田久志、1987年の東尾修、1988年の郭源治、1994年の桑田真澄、1999年の野口茂樹・工藤公康、2011年の浅尾拓也、2017年のデニス・サファテの例がある。 指名打者(DH)として、ベストナインとリーグMVPのダブル獲得者:チャーリー・マニエル(1979年)、門田博光(1988年)、大谷翔平(2016年)の3例で、いずれもベストナイン(指名打者部門)を獲得している。大谷の2016年については投手部門のベストナインも獲得しトリプル受賞となった。
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