諸藩の手代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 09:21 UTC 版)
諸藩の手代は幕府代官配下の手代と同じく、現地の農民等から採用され、代官のもとで農政業務に当たっていた。給金の額や形式は藩により異なっていた。また、手代の上には手代を取りまとめる手代元締(若しくは元締手代)がいた。なお、働きによっては名字帯刀、あるいは帯刀か名字のどちらかを許されることもあった。 例として、福山藩では手代は「御代官手代」という名称で、定員は12人であった。待遇としては15~18俵2人扶持を給ぜられており、全員が名字帯刀を許されていた。代官の定員は3人であったので、代官1人に4人の手代が配下としてついていたことになる。
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