諸学説の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「諸学説の歴史」の解説
シェイクスピアの著述に対する疑念を初めて直截的に表明したのは18世紀に発表された2つの寓話であり、この中でシェイクスピアについての反主流的な見解が述べられたのである。ハーバート・ローレンス著"The Life and Adventures of Common Sense"(1769年)の中で、シェイクスピアは「ずる賢い舞台ゴロで、(中略)救いようのない盗っ人だ」とまでこき下ろされている。また「英国海軍将校」を名乗る匿名の人物による"The Story of the Learned Pig"(1786年)においては、シェイクスピアはただのお飾りで、"ビリーとかいう名のポン引き"が本当の作者だと書いている。 同じ頃、やはりシェイクスピアが正典の作者だとは信じることのできなかったジェームズ・ウィルモット(James Wilmot)によって、最初の別人説となる「フランシス・ベーコン真作者説」が形成される。この新説は当初人々の耳目を集めることもなく忘れられたが、シェイクスピアの再評価と"Bardolatry"(「シェイクスピア崇拝」を表すバーナード・ショーの造語)の波が頂点に達した19世紀に入って、シェイクスピア作品の真の作者の最有力候補としてベーコンの名が喧伝されるようになった。しかし、19世紀の懐疑派はそれでも不可知論者の立場をとり、「この人物こそ本当の作者だ」と明言することを避ける者の方が多かった。アメリカの大衆主義詩人ウォルト・ホイットマンも、ホレイス・トラウベルに対して「あれをシェイクスピアが書いたとは信じられないという意見については、まったくそのとおりだと思う。ベーコンならばどうかといわれれば、まあ、分からないでもない」と答えながらも、自分は必ずしもベーコン説の信奉者ではないという留保を付けている。 1980年代以降、最も人気のある候補者は、1920年にジョン・トマス・ローニー(J. Thomas Looney)が提案し、1984年にチャールトン・オグバーン(Charlton Ogburn)も支持した第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(Edward de Vere)である。詩人で劇作家でもあるクリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe)もまた人気のある候補者である。2005年に新しく候補者リストに加えられたサー・ヘンリー・ネヴィルを含め、他にも相当多数の人物が真の作者候補として提案されているが、この3人ほど大きな支持を集めることはできなかった。
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