角川書店入社後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:30 UTC 版)
見城は、当時文芸分野の弱かった角川書店に今まで原稿のとれなかった作家を次々に引き込んでいった。五木寛之も角川書店には新作を書いてもらえない作家のひとりだった。見城は学生時代から五木の作品を諳んじるほどよく読んでおり、五木と仕事がしたいと熱望していた。そこで、見城は、五木が発表するどんな小さなコラムでも小説でもエッセーでも対談でも必ず読み、そのすべてに感想をしたため手紙を出した。最初は返信がなかったが、17通目で奥さんの代筆で返信が来た。その後25通目の手紙でようやく面会がかなった。そして会った当日、当時見城が担当していた文芸誌「野性時代」に『燃える秋』の連載承諾を得る。その後「燃える秋」は、映画化もされ、大ベストセラーになる。 後年、見城が角川書店から独立して設立した出版社幻冬舎の名付け親も五木寛之である。300万部の大ロングセラー『大河の一滴』も元をただせばその手紙があったから生まれたものである。
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