西岸入植地の固定化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 09:56 UTC 版)
「ガザ地区等撤退」の記事における「西岸入植地の固定化」の解説
シャロンが撤退を決めたガザ地区のユダヤ人入植者はわずか8500人。それに対し西岸の入植者は、計画発表の時点で23万人、東エルサレムのユダヤ人を換算すると40万人を超える。宗教的必要性も薄く、ハマースの拠点で、100万人のパレスチナ人に囲まれているガザを捨て、その分の予算と兵力を、宗教的必要性が色濃く、かつ広大でパレスチナ人の人口が希薄な、西岸に投入する方がはるかに賢明といえる。 実際、2004年4月の米イスラエル首脳会談では、西岸にある6つの大規模入植地の維持が確認されており、ガザ撤退に着手した2005年8月15日には、シャロンの側近シャウル・モファズ国防相も6大入植地の維持を明言した。またシャロンは、西岸の既存の入植地拡大は「再開発」に過ぎないとして、拡大ではないとの立場をとり続けている。 撤退に際し、西岸の主要入植地の首長には事前に根回しがなされており、訪米前にシャロンは側近のリモール・リブナット教育相と共にマアレ・アドゥミームを訪問し、住民を前に講演を行っている。また、撤退計画をいち早く支持したのは、マアレ・アドゥミームのベニー・カシュリエル市長だった。
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